人種差別撤廃提案100周年 記念国民集会 2月13日  憲政記念館

  • 2019.01.28 Monday
  • 08:38

人種差別撤廃提案100周年 記念国民集会

平成31年2月13日(水)・憲政記念館

 1919年2月13日、日本政府はヴェルサイユのパリ講和会議における国際連盟規約を草案する委員会で、人種差別の撤廃が規約に盛り込まれるように提案しました。米英などの反対に遭い実現しませんでしたが、その後の歴史に大きな影響を与えた画期的な提案でした。

 その百周年にあたる来る2月13日に記念の国民集会が下記の通り開催されますので、ご案内します。皆様のご来駕をお待ちしています。

・日時:平成31年2月13日(水)17:45開演(17:00開場)

・会場:憲政記念館講堂 半蔵門線・丸ノ内線永田町駅2番出口、有楽町線1番出口

・来賓あいさつ:山田宏参議院議員

・講演:

加瀬英明(外交評論家)人類最大の革命は「人種差別撤廃」の実現

頭山興助(呉竹会会長)無名烈士の壮挙

山下英次(大阪市立大学名誉教授)

    「日本の人種差別撤廃提案100周年」戦勝国史観を覆すとき

藤田裕行(二宮報徳連合代表)ジェラルド・ホーン『人種戦争』の意義

茂木弘道(「史実を世界に発信する会」 代表代行)

     大東亜会議〜世界初の人種差別撤廃宣言

高橋史朗(明星大学教授)人種差別心理学の典型例としての「菊と刀」

ぺマ・ギャルポ(政治学者)チベットにおけるエスニック・クリンシング

トゥール・ムハメット(日本ウイグル連盟代表)

中国のウイグルジェノサイド

・代表発起人・発起人

   http://www.sdh-fact.com/CL/100u.pdf

・参加費 1000円

・チラシ:http://www.sdh-fact.com/CL/100o.pdf

朝鮮戦争の目的は何だったのか?

  • 2019.01.28 Monday
  • 08:29

JUGEMテーマ:歴史

 

 

「ロックフェラーの完全支配」(マネートラスト(金融詐欺)編、ウイリアム・イングドール著、為清勝彦訳)を読んでいくうちに、朝鮮戦争の目的は、アメリカ軍産複合体の規模拡大・利益拡大にあると考えるに至った。

 

当該箇所を引用させていただく。

 

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朝鮮戦争の功徳、軍産複合体の超成長

 

朝鮮戦争により、多くのアメリカ人は、ソ連は本当に世界征服の決意を固めていると信じるようになった。こうして認知された脅威は、国の重要な資源の動員を正当化する刺激となった。 マスコミ界の戦争プロパガンダ装置は、米国は韓国に大きく投資していることを強調した。それは本当であり、実際に米国の企業や銀行は韓国に12億5000万ドルを超える巨額の投資をしていた。大口の投資者にはロックフェラーのナショナル・シテイ・バンクがあり、同行の韓国法人ニュー・コリア社の役員にはロックフェラーの弁護士ジョン・ダレスがいた。 朝鮮戦争は、ワシントンの冷戦派の策略に見事に役立った。米国の防衛費は、開戦時の130億ドル未満から1953年の終戦時の600億ドル以上へと4倍に急上昇した。米国の傀儡政権である台湾の蒋介石、韓国の李承晩、マッカーサーの日本占領政府が、東アジアにおける米国の冷戦体制に基盤を提供した。ニューヨークの若き銀行家ジョン・D・ロックフェラー三世が補佐するマッカーサーの占領下で、日本の産業は、アジアの「共産主義の防波堤」となるべき巨大な複合企業グループに再編することを許された。 600億ドルの年間予算を持つ国防総省は世界最大の発注者となり、「国防」のために、米国、欧州、日本の企業に何十億ドルという規模の注文をおっこなった。ドイツは、朝鮮戦争をきっかけにルール地方の鉄鋼業の再編に着手することを許可された。 1950年代に軍産複合体はとてつもない規模で成長した。冷戦は最新スタイルで進行し、スタンダード石油は、空軍、戦車、ジープ、駆逐艦など国防総省の道具に燃料を供給して大貢献している。 アメリカの国内経済的には、「米国の安全保障」とか「神を無視する全体主義の共産主義に対する防衛」を口に出せば、たいていの計画は議会を通過することに政治家たちもすぐに気付いた。

 

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上記を要約すると、朝鮮戦争の目的は

世界中の国に対し、アメリカの戦争プロパガンダ・冷戦の正当化し、アメリカ国民に、ソ連の世界支配の意図を信じさせることを通じて、アメリカ軍事予算を大幅増加、軍産複合体が利益拡大することにあったのではなかろうか

 

通史本の良し悪し 判定マニュアル

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 12:48

まず最初に、たくさんの歴史書を出している、倉山満の場合、厳密な意味で肩書を追加するとかく規定していることに注目したい。

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https://office-kurayama.co.jp/?p=3515

肩書を追加します 2019年1月7日

本日は昭和天皇の崩御の日です。

あえてこの日に、これまでの憲政史研究者に加え、肩書を二つ追加したいと思います。

一つは、皇室史学者を名乗りたいと思います。

現在、皇室は危機にさらされており、正しい言論を伝える人間がほとんどいない状況です。

この状況に鑑み、学徒として皇室の歴史を伝えていくことが必要と考え、今後はこの肩書も使いたいと思います。

もう一つ、歴史エッセイストを名乗りたいとも思います。これまで、憲法と政治と歴史を中心に、学問の前提となる教養に関してエッセーを書いてきました。エッセーには、随筆、読み物、書き物の他に、論文、論考という意味もあります。

わかりやすい肩書を求められる場合もあるので、この肩書も使いたいと思います。

これからは時と場合に応じ、憲政史研究者・皇室史学者・歴史エッセイストの三つの肩書を使いたいと思います。

以上、ご報告いたします。 //////////////////////////////////

この一文から、倉山満は、一般層向けに通史本を書くのはまだ先だと読める。 あれだけの冊数の歴史書を書いてもなお、「通史本レベルの歴史家」ではなく、憲政史研究者・皇室史学者・歴史エッセイストとしている点に注目したい。

参考までに、保守層にて、それなりの評価の、通史本のあとがきを参照したい。

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渡部昇一の少年日本史

あとがき 315頁

本書の『少年日本史』というタイトルですが、昔、私も尊敬する平泉澄先生という立派な歴史家が同じ題名の本を書かれています。平泉先生はプロの学者の視点から『少年日本史』を書かれましたが、その歴史観は私と同じようなものだったと聞いております。一方、私は自分が歴史学の素人であるという自覚を失ったことはありません。そういう立場で日本という国を見たときに、どのような輝ける虹が見えるだろうかということを常に考えてきました。そして、これこそ日本人が見るべき虹だと思ったことをこの本の中で語りました。虹を見るということについては、プロであるとか素人であるとかは関係ないと思っています。

国民の歴史

西尾幹二

あとがき

私はこの運動と本書との関係を次のように考えている。教科書はたしかに改められねばならない。しかし、日本の根っこのところを変えないと、一冊の新しい教科書が新芽を出しても、日本は本当には変わらない。私は歴史の素人である。それでもこんな夢はみる。本書をたまたま読んだ高校生や中学生のなかから、歴史学者になる人が出て来ないとも限らない。そして日本の歴史学会をリードする人にならないとも限らない。そしてその人がつくった教科書で、日本の次の次の世代が生い育つということがないとも限らない。これから五十年も先の話である。会はとうに解散しているし、私もとっくにこの世にいない。

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私は、歴史家として、渡部昇一は評価するが、西尾幹二はあまり評価しない。西尾幹二は、思いつくままに書き綴る癖があることが文体から読み取れ、作法的かつ学術的な意味で歴史書とは言えない気がする。また、西尾幹二が歴史書としては「国民の歴史」が処女作である。

対して渡部昇一は、膨大な数の歴史書を発刊。その集大成が「渡部昇一の少年日本史」。渡部昇一が最後に「少年日本史」というタイトルにこだわった意味はお気づきであろうか? 歴史家として、皇国史観の断絶を嫌い、平泉澄の本のタイトルを選び「渡部昇一の少年日本史」としたと解する。もう一つの理由は以下が参考となろう。

「少年日本史」の中の「少年」という言葉の意味  http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-605.html

渡部昇一はあれだけの数の歴史書を発刊しつつ、「歴史学の素人であるという自覚を失ったことはない」としている。そうであるがゆえに、遺作において、偉そうに「公史」と受け取られるようなタイトルを選ばなかったという見方もできよう。 偉そうなタイトルをつける通史本と、渡部昇一の歴史書に対する考え方は一味も二味も違うと言いたい。

ここで、「良い通史本」の見分け方について述べたい。

・著者オリジナルの視点で書かれていること ・参考となりうる先人の歴史書について紹介していること ・まえがきとあとがきに、通史本にふさわしい、歴史哲学的ないし歴史思想的な記述があること

渡部昇一の少年日本史、国民の歴史、話題の通史本のまえがき、あとがきを比較して読まれんことを推奨する。

簡単に言うと、歴史書の場合は、まえがき、あとがきを読んだだけで、その良し悪しがわかるのである。渡部昇一の場合、ほとんどの歴史書について、まえがき、あとがきは熟慮されたものだった。まえがき、あとがきだけ読んでもためになる内容だった。

最近、流行りの通史本はどうであろうか。まえがきもあとがきも内容的に薄っぺらいものであった可能性はないのか? 歴史書に関連した関連本など、別の出版社から出されている方がおられるようだが、本来は、当該本のまえがきにて記すべきだったのではないだろうか。

以上

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