小西甚一という国文学者がいる。同世代の方なら、ご存じであろう、受験時代にお世話になった、あの「古文研究法」の著者である。
難関とされる大学を目指していた方なら、使用していた受験参考書である。東大の文系学部合格者は、ほぼ大多数の方が当時使用していたのではないかとされる本である。
実は、この本、筑摩書房から文庫本で復刊されている。
その著者が、書いていた受験生用向けの本が、「古文の読解」である。こちらも筑摩書房から文庫本で復刊されている。
また、小西甚一は、「俳句の世界」という名著(講談社学術文庫)を残している。私は、俳句に興味はなかったが、この一冊で、俳句の魅力に引き込まれた。
さらに、小西甚一は、知る人ぞ知る「基本古語辞典」も書いている。こちらは、他の辞書から借用したものは一つもない、とする気迫あふれる古語辞典である。既に、古語辞典は三冊保有しているが、こちらも購入予定である。
それだけではない、石井庄司との共編で「新国語辞典」も刊行している。
国文学者としての業績もさることながら、一般向けにこれだけの本、辞書が書ける小西甚一の馬力に感嘆するしかない。
その小西甚一が、「古文の読解」という受験生向けの本に、受験としての古文学習に係わる意義を、はしがきで、述べている。
ともすれば、教える方は、専門至上主義となりかねない風潮であることを自認し、一流の国文学者として、これからの日本を支える学問を、理学、工学、医学に見立て、受験で合格できる力量を要領良く身につけてほしいと述べている。
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古文の読解 小西甚一
はしがき
国語の教師というものは高校でも大学でも、国語ぐらい重要な科目はないと思いがちだ。そして、自分が国文科の学生だったころ、教授たちから詰め込まれたのと同じ性質のことを教えたがる。しかしながら、学生たちにとって、これぐらい迷惑なことはない。大学の教養課程で理学・工学・医学などを専攻しようという学生に国文学を教えるときだって、国文学これ尊しでは学生が気の毒だ。まして高校生を相手に特殊な知識を詰めこもうなどというのは、残酷物語だ。
よく「いまの学生は甘やかされているから、精神的にも肉体的にもモヤシみたいな連中ばかり増えるのだ。もっと厳しく鍛えないと、日本の前途は危い」と力説する向きがある。賛成だ。厳しく鍛えなければ、これからの日本は、ほんとうに心配だ。しかし、厳しく鍛えることは、よけいな知識を詰めこむのと同じではない。大学の教師は専門学者である。そして、自分の専門しか知らないのが普通だ。
そんな先生たちが、審議会の委員か何かになって、数学ではこれがぜひ必要だ、英語はせめてこの程度の知識をもたせるべきだ、物理学からこの分野を抜いたら日本は後進国になってしまう……などという強行意見を出す。
中略
その結果、一週間に四十四時間分のカリキュラムを組んでも、なお消化できそうもないほどの内容が、ギューギュー詰めの教科過程として高校生諸君に押しつけられ、それをひとわたり触ってみるので精いっぱいの学生生活が、自分でのびのびと考える時間を高校生から奪い、数学も、英語も、物理学も、その他すべての学問分野が、第二のリーマン、第二のアインシュタインを若いうちにモヤシ化する。専門馬鹿が国文学者だけではない。
この本をお読みになる諸君は、大学の入試を気にしていられるだろう。気にするなというほうが無理だから、わたくしは、入試で合格点の取れる古文学習を紹介しようとする。それは、合格点を取る要領であって、満点を取る方法ではない。
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見方を変えれば、これは、専門至上主義の専門馬鹿が多いと思われる、歴史学、憲法学などの文系学者への強烈な皮肉と取れる。安保法制関連で、国会に参考人招致された憲法学者が、95%の憲法学者が政府提出法案が違憲であると記者会見までして語ったのが、その代表例である。文章解釈しかできない学者が、直面する現実を無視して語った、専門至上主義的発想を、私は、憲法学者の記者会見のコメントに見出すのだ。
私は、科目別に二〜三冊の受験参考書は読破していたが、国語、古文、漢文は、身が入らなかった。どうすれば点数がとれるか、数学・物理との比較で見当がつかなかったからである。
今になって思うに、こうしてブログで書き続ける習慣があれば、何のことはない世界ではあったのだが。
私は、あの難解な「古文研究法」を書いた国文学者が、そういう考えの持ち主だったことを今になって知り、自分の浅学を恥じ、こうして書いている。
しかし、こうして小西甚一の古文に係わる参考書に再び出会えたきっかけは、歴史に興味を持つようになり、日本のルーツである古代史を深く学びたいと念じるうちに、(受験時代、大の苦手としていた)古文学習は避けて通れないことに気づいたことにある。そう思い至るのに、歴史書を数百冊は読んだような気がしている。
であるならば、この国文学者に出会うべくして出会う運命にあったということなのだろう。
同時に、小西甚一の業績を知り、学問の世界の奥の深さを再認識した次第である。