マスコミによって辱められた「言葉」を生き返らせよう
- 2012.05.28 Monday
- 13:16
戦後、マスコミによって辱められ、以降、普通の日本人が使いにくくなった「言葉」がいくつか存在する。
代表的事例として、「君が代」、「天皇陛下万歳」、「美しい国」、「神の国」などの言葉の意味を今回解説させていただく。
これらの言葉に共通するのは、実は「皇室」である。
皇室は、マスコミの攻撃にさらされているのである。
以下は、解説である。
・君が代
反日マスコミや日教組に言わせれば、「君が代」とは戦争を賛美する歌だそうだ。
しかし、歌詞も由来も戦争に関することは一切ない。
由来を調べれば、新古今和歌集にルーツがあること、詠み人知らずの和歌であることぐらいは知っておいた方がいい。(「君が代 ルーツ」で検索)
http://manyuraku.exblog.jp/10466437/
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/hinomaru.htm
ちなみに、英、仏、米国の国歌は戦争勝利を目的とする国歌である。中共の国歌は抗日戦争の時代の国歌である。
だから、反日マスコミや日教組が指摘する「君が代」は、根本的に格が違う国歌なのだ。
・天皇陛下万歳
左翼は、この言葉を戦争賛美の言葉として侮蔑しているようだが、Wikipediaにもあるが、万歳の言葉の意味は、健康と長寿を願うことである。
言葉の本来の意味まで歪める必要はないはずだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%AD%B3
「天皇陛下万歳」はこのような歴史的経緯から軍国主義、戦争の象徴のような言葉と捉えられることもあるが、実際は天皇の永遠の健康、長寿を臣下が祈るものである。近年でも即位の礼や在位記念式典において公式に使われ、また皇居における一般参賀などの場面において万歳三唱する市民もいる。
・美しい国
安倍晋三首相が使い始めて評判になったが、反日マスコミに袋だたきにされた言葉である。
美しい国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E5%9B%BD
美しい国(うつくしいくに:Beautiful Country 但しその思想は“State”や“Nation”に通じる)[1]とは、「日本国の安倍内閣が国民と共に目ざす」と宣言した国家像である。
『活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」 』と定義されている
政治的には確かにWikipediaの定義のとおりだと思うが、日本という国の特徴をリストアップさせていただく。
・一国一文明を形成する世界でも稀な国である
・自然が美しい
・水が非常においしい(先進国で水道水がおいしい国
はほかにない)
・都市の景観が美しい(ヨーロッパの歴史的観光都市ほどではないがアジアの中ではダントツ)
・言葉や習慣が他国に例を見ない独自のものでかつ優美である(漢字、ひらかな、カタカナという3文字を駆使する民族は他にない)
・伝統的な習慣自体が美しく優美である(神道の影響)
・料理は他国に例を見ない視覚的に美しく、味は素材の良さを最大限生かしたものが多い(世界が絶賛)
・着物は、世界の女性の憧れの的
・他国に例を見ない、独自の芸術、芸能文化がある(歌舞伎、能、日本画、茶道、生け花、合気道、空手、剣道、柔道)
・伝統工芸が洗練されており、日用品が芸術の次元に達している
・治安が良く、親切で(特に外国人に対して)人々は非常事態になればなるほど団結し、地震や災害の際に各国で見られるような略奪事案はまったくない
さて、これらの項目に関して、これを凌駕する国は、世界のどこを探してもない。旅行すればわかることだ。
マスコミの反安倍キャンペーンに惑わされる必要はない。
・神の国
森首相がマスコミによって、失言扱いとされた言葉である。
日本のマスコミは、失言まで創作しているのである。
そして、失言創作は麻生首相時代に突出したことを忘れてはならない。
「神の国」の意味がわからない方は、「日本人として知っておきたい皇室のこと」という本の第一章を読んでほしい。なぜ、日本が「神の国」なのかわかりやすく書いてある。
http://books.google.co.jp/books?id=3jEO7TVajRsC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false
少なくともいい加減な社説しか書けない新聞社の主張を鵜呑みにする必要はないと思う。
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神の国発言出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索 神の国発言(かみのくにはつげん)とは、2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。
概要
この時、神道政治連盟の会長は綿貫民輔が務めていた。しかし、当時は前首相の小渕恵三が病死した直後のことであり、その通夜で綿貫は出席することができなかった。そのため、急遽役員であった森が出席し、挨拶を行った[1]。
この発言に対し、野党(特に日本共産党)や朝日新聞・毎日新聞などのマスコミからは「国民主権や政教分離に反するものではないか」との批判がなされ、世間の注目するところとなった。一方で、産経新聞などは「批判は挨拶文の一部だけを意図的に抜き出して曲解した不当なものだ」として首相を擁護した。読売新聞のように発言自体は非難しない立場からも、誤解を招く発言であるとする批判があった。
森は5月16日午後、首相記者団に対して次のように述べた。
主権在民とは矛盾しない。戦前は天皇と結びつけて戦争をした。そこで主権在民・信教の自由をうたい、侵略戦争を放棄するということを国是とした。(天皇中心は)日本の悠久の歴史と伝統文化と言う意味で申し上げており、戦後の主権在民と何ら矛盾しない。
どうして撤回しなければならないのか。話の内容は、もっと命を大事にしよう。生命は神様がくれたもの。その神は天照大神でも、日蓮でも、おしゃか様でも、イエス・キリストでもよい。自分の信ずる神仏でよい。
— 『WiLL』2007年9月[1]
翌5月17日は参議院本会議が開催される日であったが、答弁に先立ち記者団には次のように強調したのだと言う。
誤解を受けたということにおわび申し上げるが、発言を取り消すことではありません。
— 『WiLL』2007年9月[1]
一部世論の反発や与党公明党・創価学会による懸念の高まりを受け、森は続いて同年5月26日に再び釈明会見を行った。その際首相官邸記者クラブの会員記者(NHK所属とされる)が首相側近あてに記者会見の対策文書(指南書)を作ったことが直後に明らかになった。新聞倫理綱領制定時に発覚したこともあり、問題視された[2]。
一方、野党4党は5月16日に国会対策委員長会談を開き、結束して森内閣を退陣に追い込む方針を決定した。
2000年4月5日に就任した森首相は、この発言などから急速に内閣支持率を落とした。その後、6月2日に森首相は衆議院を解散。6月25日の投票日までの間、この発言や「無党派層は寝ていてくれればいい」という発言、さらに五人組による総理・総裁選出の経緯など、森の首相としての資質が盛んに論じられたため、当該解散を神の国解散と呼ぶことが定着した。ただし、これらの発言、経緯にも森は反論を実施していることを付記しておく。
詳細は「森喜朗」を参照
「神の国発言」の全文
2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会における森の発言
神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。
とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。
私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを造ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。
しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。
ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。
私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。
これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので…。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。
たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。
ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました[3]。
創作された失言
神の国発言はその文脈の解釈は別として、存在自体は事実であるが、森についてはマスメディアにより創作された架空の「失言」が存在する。
2000年5月、アメリカ大統領ビル・クリントンとの会談の場において、森が出鱈目な英語の挨拶を行ったという報道が、7月末開催の九州・沖縄サミットへの揶揄と併せて、株式新聞、フライデー、週刊文春により報じられた[4]。なお、週刊朝日はこの話に当初から懐疑的であった[5]。事実は毎日新聞の論説委員高畑昭男(のち産経新聞に移籍、直後に暴露)による創作であり[6]、森はこのデマを批判している[7]。
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最後に、補足となるが、ネトウヨ(「ネット右翼」の略語)という言葉は、反日マスコミや情報工作機関が、愛国主義者を目覚めさせたくない意図により、政治宣伝上、一般大衆に対する悪印象レッテル貼りを目的として編み出され保守勢力全体を辱めることを狙っている。
ただ、ネトウヨは、
「在日韓国人、在日朝鮮人にとって都合が悪い人達」という意味として、最近認識されつつある。
。
だから、我々は、マスコミにより辱められ、本来の意味を歪められた「君が代」、「天皇陛下万歳」、「美しい国」、「神の国」について、あえて意図して使用すべきなのだ。
さもなければ「廃語」となることを覚悟すべきである。
(参考)
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http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-2476.html
6 :日出づる処の名無し :sage :2010/07/23(金) 00:03:11 (p)ID:UyyNCbQY(4)
政治宣伝のための7 つの法則
1「ネーム・コーリング」
攻撃対象の人物・集団・組織などに対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるマイナスのレッテルを貼る(ラベリング)。
メディアやネットによって繰り返し流されるステレオタイプの情報により、情報受信者は、徐々に対象に憎悪を深めていく。
2「華麗な言葉による普遍化」
飾りたてた言葉で自分たちの行為を正当化してしまう。
文句のつけようのない・つけずらいフレーズ・正義を強調し、共感を煽り立てる。
3「転換」
さまざまな権威や威光を用いて、自分たちの意見や目的や方法を正当化する、正しく見せかける。
4「証言利用」
尊敬される・権威ある人物を使って、自分たちの意見や目的や方法が正しいことを証言・後援させる。
5「平凡化」
自分たちの庶民性や、情報受信者と同じ立場・境遇であることを強調し、安心や共感や親近感、一体感を引き出す。
6「カードスタッキング」
都合のいい事柄を強調し、都合が悪い事柄を矮小化したり隠蔽したりする。
7「バンドワゴン」
大きな楽隊が目を惹くように、その事柄が、世の中の趨勢であるかのように宣伝する。
情報受信者は、それに従わないことにより取り残される情緒的不安を覚え、結局はその「楽隊」に同調していくことになる。
第二次大戦中、米国の宣伝分析研究所が情報操作の研究を行った結果編み出した、政治宣伝のための7 つの法則
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