通史の書名について
- 2019.02.09 Saturday
- 16:48
JUGEMテーマ:歴史
通史の本の書名として、「○○国紀」、「○○国史」とする場合に求められる要件について、日本書紀編纂の時代に定められた約束事があるそうだ。 「六国史 日本書紀に始まる「古代」の正史」(遠藤慶太)から、該当箇所を引用させていただく。
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六国史は、天皇代ごとのまとまりを「紀」と呼称した。 中略 日本では近代を迎え、孝明天皇・明治天皇の事績を公的な書物として遺そうとしたとき、『孝明天皇紀』『明治天皇紀』のように「紀」の名称が採用された。古代より途絶えていた史料編纂の伝統を踏まえ、天皇個人を描きながら、そこに国家の歴史をも重ねる。「紀」のあり方がよく表れているだろう。 中略 七〇一年に施行された大宝令の注釈「古記」(天平一〇年(七三八)頃成立)には、「国史」とは実録のようなものだと解説した部分がある。 <「古記」にはこうある。「整理しととのえることを「修」という。採用したり棄てたりすることを「撰」という」と。[中略]また古記はこうもいっている。「「国史」とは、その当時の事実を記した書物の名称である。『春秋』『漢書』のような類である。実録のことである」と。> 右は図書寮の職務「修撰国史」の解説である。
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この本は、位置づけとしては、大学教養過程の日本史の教科書みたいな本である。なぜなら、大学生協の新書版コーナーにて平積みになっていたのを見つけたからである。 この本の説に従うならば、「○○国紀」、「○○国史」と題された本を書店で見つけた場合は、皇国史観での歴史書であるならば、書名と書かれている内容が上述の要件を満たす必要がある。 些細でとるにならないことかもしれないが、皇国史観の本であるとするなら、先人が定めた決め事を外したりすることは、すべきことではない。 大学教養過程の学生が知っていることを、歴史家が知らないことは本来あってはならないのである。