ウッドロー・ウイルソンと李承晩
- 2022.08.31 Wednesday
- 16:50
JUGEMテーマ:歴史
意外なことだが、ウッドロー・ウリルソン(1856〜1924)と李承晩(1875〜1965)が長期間にわたって接点があった。
「ウッドロー・ウイルソン 全世界を不幸にした大悪魔」(倉山満)では、ウイルソンが大学の学長時代、李承晩は留学生だった。
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他にもウイルソンが”飼っていた”と言われるのが李承晩です。李承晩は、ウイルソンがプリンストン大学の学長だった時代に留学していました。後にウイルソン主義で大韓民国ができますから、反日の源流になったのは間違いないでしょう。
中略
日本に直接関係することでは、ウイルソンが民族自決を煽ったために、大日本帝国の版図だった朝鮮半島で三・一運動が起こり、中華民国でも五四運動で反日デモが拡大します。
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Wikipediaによると、ウイルソンが大統領時代、李承晩が独立運動に係わっていたとされる。
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9
1918年、李と親交があったウィルソン大統領によって、「民族自決」などを掲げた平和原則が議会において発表された。同年12月にはパリ講和会議においても「民族自決」を含む条約が提起されるにおよび、ロビー活動を行うため李もパリ行きを希望する。しかし国務省は、李の旅券を発行しないよう指示されていた[10]。
中略
これまで独立運動に於いてそれまでほぼ無名であった李が大統領に選ばれたのは、第一次世界大戦終結に際して民族自決をはじめとした「十四か条の平和原則」を唱えたアメリカ合衆国のウィルソン大統領と人脈があると考えられ、さらにかつての大韓帝国皇帝高宗とも繋がりがあるという事が指摘されている[9]。実際、同時期に成立していた各種の朝鮮独立運動の「臨時政府」において、李はリストのナンバー1か2に必ず名を連ねている[9]。
△△△ 引用終了 △△△
戦後、李承晩が引き起こした日韓の問題については、ウッドロー・ウイルソンの存在を前提に分析する必要がある。