GHQが天皇陛下に対して行った復讐

  • 2015.12.23 Wednesday
  • 13:04

天皇陛下が、天皇誕生日に際し、今年も何事か述べられた。

**********************************************

http://www.yomiuri.co.jp/national/20151222-OYT1T50135.html?from=ytop_main5

天皇陛下、82歳に「先の戦争考えて過ごした」 2015年12月23日 05時00分

 天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた。

 これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした」と、戦後70年の節目を迎えたこの1年を振り返られた。

 ■戦没者への思い

 陛下は、「平和であったならば、有意義な人生を送った人々が命を失った」と述べ、戦没者へ深い哀悼の意を示すとともに、戦争を知らない世代が増えていることを挙げ、「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが、日本の将来にとって極めて大切」と強調された。

 6月の戦没・殉職船員追悼式では、強制的に徴用され、十分な護衛もない中、命を落とした民間船の船員らを思い、供花されたという。慰霊のため4月に訪れたパラオでは、美しい海に無数の不発弾が残り、処理には大変な時間がかかると知ったとして、「島々に住む人々に大きな負担をかけてしまったことを忘れてはならない」と述べられた。

 ■被災地への気遣い

 各地で発生した自然災害の被災者も気遣われた。

 5月の鹿児島県口永良部島の噴火を挙げ、「みな無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています」と島民たちの暮らしを心配された。一方、9月に鬼怒川の堤防が決壊した茨城県常総市の被災地で、多くのボランティアが復旧作業に協力したことに触れ、「困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが、日本人の中に育っていることを心強く思います」と明かされた。

 ■うれしいこと

 喜ばしいこととしては、日本人研究者2人のノーベル賞受賞を挙げられた。

 以前、寄生虫病の「オンコセルカ症」で失明した患者たちの映像を見て心を痛めたといい、特効薬の開発に貢献した研究者の受賞を「本当にうれしく思いました」とたたえられた。

 日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が成功したことも、「うれしいこと」に挙げられた。1962年に戦後初の国産プロペラ旅客機「YS11」の試験飛行を関係者とともに見守ったことを懐かしく思い出されたという。

 会見の終わりに、陛下は「この誕生日で82歳になります。年齢を感じることも多く、行事の時に間違えることもありました」と率直に明かされた。「一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」との考えを示された。

          ◇

 (宮内記者会代表質問)

 問 今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫付属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。

 戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。

(ご回答)

 今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳しんだけが噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、(茨城県)常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

 今年の喜ばしい出来事としては、まず2人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見いだされたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。

 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵はがきを見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。

 この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領ご夫妻、マーシャル諸島大統領ご夫妻、ミクロネシア連邦大統領ご夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国はサンゴ礁に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

 パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾きたはらお、栃木県の千振ちぶり、長野県の大日向おおひなたと戦後の引き揚げ者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

 今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。

**********************************************

天皇陛下の上記発言の一部を自虐史観と捉える方が少なからずいる。

ここで、天皇誕生日とGHQによる戦犯措置日の関係について参照したい。

GHQは、昭和天皇が、開戦に関与したと主張したいことが、以下の日付設定からわかる。

・A級戦犯の被告人名簿公表日は昭和天皇誕生日の1946年4月29日

・A級戦犯の処刑日は今上天皇誕生日の1948年(昭和23年)12月23日

戦犯回避を口にした者が、日付設定では、戦犯であると明らかに暗示している。

こうまで、されれば、もし天皇陛下が、戦争肯定発言した場合、何者かが……………ということが起きる気配を感じるのだ。宮内庁職員にクリスチャンが多いのは、そういう事への対応を準備していると私は見ている。

では、彼らは、本当にするのかというと

【福島県・会津地方の皆様へ?】佐賀人雅子妃による本当にあった悠仁様殺害計画、拡散希望 http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/c99b372f090c8de9a500169a418f41e8

こういう情報を知ると、実行寸前の事案があったことがわかる。

また、鬼塚英昭が書いた、フリーメーソン上層部にまつわる本「20世紀のファウスト」(上、下)によれば、●殺指令は、ほぼ確実に実行されていることがわかる。

では、どうやって? 指令を受けた人物が実行を躊躇うと……

という仕掛けが歴史的に繰り返されてきた可能性を指摘する。

従って、天皇陛下は、そういう者たちが周囲にいる関係で、念仏の如く、繰り返さざるを得ない罠に嵌められた気がする。

私は、気がすると書いた。

では、天皇陛下の歴史認識発言が問題であるとされる方、二代続けて、GHQの処置実施日と重なる意味をどう受け止められるのか?

陛下の身代わりに訴追、処刑された、かもしれない人々がいたことなどを含め、示し、そのうえで誕生日にかく語られた、と書く配慮が必要ではなかったのか?

確かに、マッカーサーの腹心、ボナー・フェラーズは、天皇の戦犯訴追回避を口実に、米内光政と密談を繰り返し、その対応の中で数々の秘策というかシナリオを示した。 そして、確かに、戦犯訴追回避はされた。

しかし、二代続けて、戦犯訴追、処刑実施日を天皇誕生日に当てる、政治的意味を考えたい。

天皇の戦犯訴追回避のGHQ側の当事者は、マッカーサーの腹心、ボナー・フェラーズである。彼は、戦犯の訴追回避の協力者そして親日家として知られている。

どう考えても、これは、明らかな裏切りであろう。ボナー・フェラーズは親日家で知られた軍人だったからだ。

私は、ボナー・フェラーズの親日は、ポーズであろうと睨んでいるのである。

スポンサーサイト

  • 2020.08.09 Sunday
  • 13:04
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        

    PR

    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    3031     
    << August 2020 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • 歴史学者がルーズベルト陰謀論を肯定することは「歴史学界のタブー」なのではないか
      masurawo (07/03)
    • 歴史学者がルーズベルト陰謀論を肯定することは「歴史学界のタブー」なのではないか
      たつや (07/02)
    • GHQプレスコードの目的 米兵強姦事件等隠蔽のためだった
      masurawo (04/30)
    • GHQプレスコードの目的 米兵強姦事件等隠蔽のためだった
      たつや (04/29)
    • GHQプレスコードの目的 米兵強姦事件等隠蔽のためだった
      masurawo (04/29)
    • GHQプレスコードの目的 米兵強姦事件等隠蔽のためだった
      たつや (04/27)

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM