戦前日本の対米二枚舌外交
- 2022.04.21 Thursday
- 14:55
JUGEMテーマ:戦争・紛争
戦前の、アメリカ側からみた日本外交観については、ほとんど知る機会がない。
「昭和史を動かしたアメリカ情報機関」(有馬哲夫)にて、当時のアメリカ政府が日本外交をどうみていたのかについて言及がある。
//////////////////////////////////
筒抜けだった二枚舌外交
アメリカ政府トップは、真珠湾攻撃に先立って陸軍通信情報局や海軍通信局などからどんな情報を得ていたのだろうか。それは次のようなインテリジェンスだった。
1.対アメリカ外交交渉に臨む日本側の真意
2.「風情報」。
3.野村がワシントン時間で一九四一年一二月七日午後一時にハルに重要文書を手渡す。
1についていえば、ロナルド・ウーウインが『アメリカン・マジック』(The American Magic)で明らかにしているように、アメリカは日本が本気で和平実現のために外交交渉しようとしていないことを知っていた。
一九四○年一二月二五日のマジックは、次に着任する(一九四一年二月一四日着任)野村吉三郎大使が「日米の銀行および実業家の協力を得てプロパガンダ(つまり和平に積極的だという)情報収集の計画を作成するため」送られてきたのだということを伝えていた。
一九四一年四月八日のマジックは、野村に和平交渉をさせる一方で、いかに松岡洋祐外務大臣がドイツとイタリアとの関係強化に努力しているかを明らかにしていた。
しかも、同月の一四非には日ソ相互不可侵条約を結び。アメリカと戦争ができる状況を作り出している。
同年七月一四日のマジックは、その松岡にかわって豊田貞次郎が外務大臣になったにもかかわらず
、南部仏印進駐(七月二八日実行)の次にはオランダ領インドネシアやシンガポールに進駐することをすでに予定表に入れていることを明らかにしていた。
そして、九月の段階で、ときの首相近衛文麿は、陸軍大臣東条英機の圧力に屈して、戦争準備を第一とし、外交交渉をその次としてアメリカに対応していくことを決定した。
マジックは、野村が戦争回避のために懸命の努力をしているが、それは実は戦争準備から目をそらすためのポージで、実際には日本は戦争への道をひた走っているということを
アメリカ側に暴露していた。
だからこそ国務長官コーデル・ハルは、日本が呑めそうもない条件を突きつけたのだ。つまり、戦争をしようとしている日本に宥和的条件を提示しても無駄だと知っていたということだ。
ハルは真珠湾攻撃のあとで野村から最後通牒を受け取ったとき「これほど欺瞞に満ちた文書を私は見たことがない」といったといわれるが、それは真珠湾攻撃のあとだったからというだけではなかった。
そこにいたるまでも日本はさんざん二枚舌外交をやっていたので、うんざりしていたハルはこの決裂のときに、つもりつもった想いを吐き出したのだと筆者は考えている。
日本人はルーズヴェルトやハルが強硬な態度をとって日本を追い詰めたとよくいう。だが。マジックが明らかにする事実は、日本がもともと妥協し、和平を達成するつもりがないのに、和平を希求しているポーズだけとっていたということだ。
それをアメリカ側はマジック以外にもさまざまな情報からしっていたので、ハルノートのような強硬な主張をして、和平が進まないのは日本側の責任だということを明確にしたのだ。
アメリカ側から見るならば、追い詰めていたのは日本のほうだった。日本は、中国戦線拡大、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約、仏印進駐など、アメリカを敵とし、これに圧力をかける方策を次々と講じていた。そして、自らの力を過信し、傲慢になっていた。だから外交努力を怠り、誤った選択を重ねていったのだ。
なお、当時駐日大使だったジョゼフ・グルーは一九四一年一月の段階で日本が真珠湾を奇襲の標的にしているというインテリジェンスを国務省に送っている。
//////////////////////////////////
有馬説によると、ハル・ノートは、最後通牒ではなく、二枚舌外交をやめようとしない日本政府に対する嫌みを込めた意趣返しだったのである。
そうではないとすれば、二枚舌外交がいかなる実態にあったのか、について検証が必要となるが、この本にはその点には詳しくふれていない。