紅茶がウイグル並の奴隷労働品だった時代
- 2022.01.04 Tuesday
- 05:12
JUGEMテーマ:歴史
かつて紅茶の産地は中国。中国から紅茶を輸入していたイギリスは、貿易赤字解消のため、アヘンを中国に輸出、中国人をアヘン漬けにした。
「英国の喫茶文化」(クレア・マセット)という本によると、「1830年代には中国のアヘン中毒患者が300万人を数えるにいたった」とある。
中国政府が、アヘンを輸入を阻止すべく、アヘンの年間供給量にあたる約2万箱を焼却処分したところ、イギリスは中国に宣戦布告、これに対し、中国は茶の輸出を禁止。
相前後して、イギリスは中国に依存せず、茶の生産に乗り出したが、実際はウイグル奴隷労働並の生産体制に近かったそうだ。
//////////////////////////////////
英国の喫茶文化
アッサムの地は次第に広大な茶樹農園に変貌した。英国人の茶の投機家たちは、区画単位で土地を買収し、日雇い人夫を雇用して、土地を開墾し、茶樹を栽培して、その収益を巻き上げた。クレア・ホープリーはその著書『お茶の歴史』の中で「イングランドにおける茶樹栽培の様相は、あたかも英国内に並び立つ巨大な工場群のようであった。茶の灌木が小高い丘の斜面に整然と列をなして行進するかのように植樹され、陸軍所属の労働者たちがその栽培を任されていた。家族経営の茶園で栽培される中国茶より、インドのお茶が安価に生産できたのは、その効率的な規模のお陰であった」と説明している。英国内の工業生産で成功を収めた「規律・効率・分業主義」がインドの茶樹栽培についても首尾よく適用されたのである。
労働者は「労力捕獲者」によって雇われ、7年間の契約書に署名を強いられて事実上の奴隷とされた。英国人の職員たちは居心地のよいバンガローに住む一方で、労働者は往々にして不健康な環境に拘束されていた。茶葉を加工するために巨大な製茶工場も建造された。
中略
英国が輸入する茶の産地として、1889年初めてインドが中国を上回って中国の独占が打ち破られた。そのわずか10年後にはインドからの輸入量は、中国産の14倍に跳ね上がった。
//////////////////////////////////