満州事変勃発前に満州で起きていたこと

  • 2021.09.29 Wednesday
  • 08:41

JUGEMテーマ:戦争・紛争

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たまたま読んだサイトにて、松岡洋右が書いたとされる文章が紹介されている。
出典は明記されていないが、一読する価値があると思う。

 

戦後の歴史学者たちは、日本が悪い、日本軍が悪いことをしたという先入観で調査研究している気配が濃厚である。
日本軍が何かをした以前に、紛争勃発前に、満州で何か起きていたのかくらいは把握すべきことであるように思う。

 

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http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53398341.html

 

政界再編まで見ておくことだと思う。いかに紹介するのは松岡洋右の昭和16年の著作の一部分で、満州事変が起きる4年前を解雇した文章です、いろいろな用語を変えればいまにも通用する。この著作のほかの部分には間違っているものがあるが、当時の認識としてはそれはそれで考えなけらばならない。歴史文書はいまの基準で読んではだめで、当時の基準で当時の見方をいいか悪いかを判断する。これが実際の話難しい。司馬遼太郎をみればいい。
さて紹介。

南満州の中心である奉天においてすら、白昼小学校に通う児童がしばしば殴られたり、石を投げられたり、ひどい目にあわされた。青年諸君は今後渡満したら、あるいは現に満州にあって、大きな顔をして歩くことと思うが、当時の日本人の女、子供等は白昼ですら安心して奉天の街上を歩くことができなかったのだ。それでも日本政府も国民も一向無関心であった。かしこにごろごろしているのはいずれ満ごろだ、なあいに満州は放棄するのが良いという気分で、まるで無関心だった。

Posted by takashi at 2021年09月27日 08:43

 

いくら土足で踏んでも蹴っても日本人はもはや悲鳴も上げることができんぞ。これならば追い出すことができるぞという錯覚にかかったのが張学良であった。しかしそれは当時の日本人の態度よりすれば無理ならぬことであって、実は張学良や一般の支那人が悪いのではない、それは日本人がかかる錯覚に彼らを陥らしたのである。踏んでも蹴っても日本人は悲鳴さえあげきらぬ。東京では自ら進んで放棄論さえ高調してくる。たたっけばたたくほど引っ込み退却する。そうして議会の外相は満蒙において、日本に対する空気は俺が外相になってからよほど改善されたとおっしゃる。女子供までやられても黙て引っ込んでいることを平穏無事と心得て、空気がよくなったとみたらしい。私はそれは観察が間違っている。必ず近い将来において、大爆発しますぞと言明しておいたが間もなく爆破にいたった。すなわち満州事変が勃発したのだ。

Posted by takashi at 2021年09月27日 08:43

 

日本の朝野があまりにも無関心だったために、最初はアノ爆発の意味が分からなかったのである。最初は軍部以外のものは錯覚にかかっていた。初めは出先の若い軍人が軽率にがむしゃらにことをやった、これは国を誤るものだというのがおそらく我が国の元老縦深以下内閣諸侯の大多数、東京あたりのインテリの大部分の感想だっただろうと思う。それっは私は記録をもってしても立証して見せることができる。最初の二週間くらいはインテリも政府もついてこない、まったく錯覚にかかっていた。事の真相は在満20万の同胞がその数年前からして、すでに憤激の極に達して負ったので、ただ本国の国民も政府も冷淡であり、理解すらしないので、その憤激を具体化する方法を発見するに苦しんでいたのである。そして極度に隠忍していたのである。しかるに支那側の圧迫に耐えられなくなってきた、もうこのままでは退却し満蒙から引き払うよりほかはない、退くのか進むのか、本国に訴えても、所詮無駄だ。しからば立って打つほかない、という当時在満20万の同胞憤激を代表して、やむを得ず決然として剣を抜いて、起こったのがわが廣東軍であったのだ。こう分かって居たら、日本政府もインテリも最初からいささかの狐疑逡巡もなく、関東軍の行動をもろ手を挙げて支持しただろう。しかし悲しいことに目と鼻の先の満州の事態でありながら、無関心なりしためにその真相がわからなかったのである。

Posted by takashi at 2021年09月27日 08:46

 

私は昭和4年の八月に満鉄副総裁をやめて、東京に帰ったのであるが、コウコウケイ(地名)まで鉄道を延べておいたが、実のところ支那側との交渉においておそらく私ほど隠忍したものはあるまいと信じているがその私ですら、当時すでにつむじを曲げて帰ったのである。其の後満鉄社員中、心あるものは私を訪ねてきて<先生、もうダメです拳骨しかありませぬ>といずれも異口同音に憤慨していたのである。それがわが政府の者やインテリには耳に入らなかったのである。在満20万の同胞はすでに事変の数年前から憤慨の極に達していたのに、それを政府も民間も我関せずであった。かかる際に突如として爆発したのだ。常常無関心だったので、驚いた。皆目わからない。そして面食らった。だから出先の若い軍人が無茶なことをしたと誤認したのである。爆発当時、少なくとも東京あたりのインテリの間のこれが定論あったのだ。それがそうではないのだといって、微力ながら私は諭しにかかてみたが初めの意二週間くらいは多く耳を貸さなかったというありさまだった。これは話が細かくなったが、当時の遺憾ながら印象を今なお私の脳裏に焼き印のように焼き付けられているのでつい愚痴が出たのである。

Posted by takashi at 2021年09月27日 08:46

 

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似たようなことは、今尖閣で起きている。

沖縄の漁師が安心して操業できる状態になく、日本人が尖閣に上陸することもままならない。それでいて、総裁選出馬した政治家のファミリー企業が、中国で破格の扱いでの出資比率で合弁事業を経営、合弁相手企業はウイグル奴隷労働に関与していると噂される。
もちろん、その政治家は中国に都合の悪いことは言わない。

 

戦後70数年が経過、日本人は戦前も戦後も我慢し過ぎたと思わざるを得ないのである。

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