ルーズベルトもモーゲンソーも経済の素人だった
- 2020.03.23 Monday
- 07:55
JUGEMテーマ:歴史
「第二次世界大戦 アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ」(渡辺惣樹)にて、ルーズベルト、モーゲンソー両人とも経済の素人だったことが書かれている。
いわゆるハルノートの作者が、国務省関係者でなかった背景に何があったのか。渡辺惣樹は検証を試みている。
ヴェノナでは、コミンテルンスパイにより戦前・戦中のアメリカ政界が操られたことが書いてあるが、なぜコミンテルンスパイ潜入を許す事態となったのかの説明となる。
ただ、経済的に無知で出来が悪く、大衆受けするルーズベルト、モーゲンソーをアメリカ政界を支配する人物が敢えて選んだ可能性も十分にある。その方が操りやすいからだ。
以下は、「第二次世界大戦 アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ」からの引用。
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モーゲンソーは、秘書のクロッツを通じて知己になったホワイトを気に入った。ユダヤ人同胞であり、また愛妻家であることにも好感が持てた。モーゲンソー同様に、アメリカ社会におけるユダヤ人に対する侮辱に激しく反発していたこともお気に入りの理由だったが、経済学者としての優秀さも重要な要素だった。経済・財政の素人モーゲンソーにとっては、信用(信頼)できるテクノクラートが必要だった。そんな彼にとってホワイトは最適に人物であった。ホワイトはモーゲンソーの右腕としてたちまち頭角を現した。
先に書いたようにFDRはハーバード大学は出ているが勉強嫌いで、専門のはずの歴史学でも戦史本を読む程度であり、経済学には全くの無知だった。FDRは「馬の合う」お友達モーゲンソーを財務長官に登用した。モーゲンソーも出来の悪い学生であり経済学の素人であった。
これがホワイトの出世に有利に働いた。ホワイトはFDRとモーゲンソーに経済学の素養がないことに気づいた。彼が財務長官に建言すれば、それがたちまち国家の方針として採用される可能性を見てとった。そして実際、事はそのように進んだ。
FDRはとにかくモーゲンソーを大事にした。あらゆる案件を彼に相談した。モーゲンソーが絶対忠実な部下であると信じ、裏切られない確信があった。だからこそ財務省マターでない案件についても彼の考えを聞いた。大統領のこのような態度によって、モーゲンソーはホワイトハウスの全ての案件に深く関与できる立場を得た。財務相マターでない案件、とりわけ国務相管轄の外交案件にも強い影響力を持ったのもそのせいである。そのモーゲンソーの右腕がホワイトであった。歴史修正主義に立つ史家アンソニー・クベックは次のように書いている。
「モーゲンソー日記を読むと、ホワイトが自身の考えや思い付きを長官に上げることによって次第に財務省マター全般に影響力を持つようになったことがわかる。モーゲンソーはホワイトの建言に基づく考えを大統領に頻繁に伝えた。彼は他の閣僚の誰よりも大統領に近い立場にいた。それがア重要な意味を持っていた。閣僚の格付けでいえばモーゲンソーは国務長官の下に位置するはずだった。ハル国務長官は、モーゲンソーが虎の威を借りて国務相マターに口を出してくることに不満だった」
日本の運命を決した「ハルノート」を、なぜ国務相の官僚でもないホワイトが書けたのか。読者の多くが訝しく思っていたに違いない。その理由がこれまでの記述でわかっていただけたことと思う。
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