歴史用語としての「神話」の意味
- 2020.01.12 Sunday
- 12:08
JUGEMテーマ:歴史
国語辞典の意味としてではなく、歴史用語としての「神話」の意味について、「日本は天皇の祈りに守られている」(松浦光修)の記述が参考となると考えたので引用させていただく。
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「神話」ではなく「神代の物語」
『古事記』や『日本書紀』に残されている「神代の物語」を、江戸時代の学者たちは、「神代巻」と呼んでいました。ところが、そういう言い方は、いつのまにか消えてしまい、今は学界でも世間一般でも、それらのことを「神話」と呼ぶようになっています。神道の世界にいる方々でさえ、そう言ってはばからない方がいますので、何も目くじらを立てる必要はないのかもしれません。しかし、私は近ごろ、「神話」という言葉に対して、かなり違和感を覚えるようになっています。
「神話」というのは、”myth”の翻訳語で、明治三十二年から、一般でも広く用いられるようになった言葉です(谷省吾『神道言論』)。しかし、この”myth”という言葉には、ほかの意味もあります。「作り話」「でっち上げ」「根拠のない話」などです。「神話」という言葉は、聞いただけでは、何やらありがたそうな言葉ですが、それはあくまでも表面上の話で、その言葉の内部には、きわめて否定的な意味が含まれているのです。
「一神教」に改宗した西洋の人々から見ると、「ギリシア」「ゲルマン」「ケルト」などの多神教の「神話」は「作り話」「でっち上げ」「根拠のない話」に見えたことでしょう。ですから、西洋から伝わったその言葉に、否定的な意味が含まれているのは、ある意味では当然のことです。
中略
ともあれ、「神話」という、いわば”日本の神々”に対して差別的な意味を含む翻訳語が広がり、やがて定着し、いつのまにか日本人も、わが国の「神代の物語」を「つくり話」と同じもの…と、思うようになってしまいました。そうねってしまった原因として、「戦後体制」のほかにも、わが国の近現代の「神話研究」の、悪い意味での”成果”が決定的な役割を果たしているように思われるのですが…
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記紀神話を語る際、西洋史的視点だけでなく、国語辞典的視点から語るべきではないと、松浦光修は言いたいのではないか。