日本人の美的感覚

  • 2020.06.03 Wednesday
  • 07:38

JUGEMテーマ:歴史

 

日本人の美的感覚がどのようなものであるかについて、造園の専門家が述べた文献を発見した。
タイトルは「造園の手引き」(京都府造園共同組合著)。芸術性有する日本庭園等の造園専門家向け
に書かれたハンドブックである。

 

その中に、「日本文化の特性と本質」と題し、二つの視点から、興味深いことが書かれている。

 

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馼坡亮太の重視

日本では古来、美術工芸やそのほかの大半の空間芸術において、”左右対称””整形”及び””繰り返し”を避ける意匠が基本となっている。日本の文化特性を極めて的確に表現しているとされる『徒然草』の中に、「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり・・・」とある。また、明治時代に我が国の文化を世界に紹介した岡倉天心も、その著書『茶の本』の中で「不完全の美」という表現で、左右対称等”整形”を避けることが重要である点を指摘している。
庭園においては、以上に加え”曲線をいかすこと”と、”繰り返しを避けること”などにより、多様な空間を構成することが重視される。

 

魎屬粒萢

「間」という言葉は、日本では生活空間から芸術文化に至る様々な分野で幅広く用いられている。造園においては、まず樹木の”枝ぶり”という言葉に代表される。すなわち、剪定等によって「間」を生み出し、これが新たな構成美を創出する。
石組においても同様で、石と石の「間」の取り方が趣きや構成美を大きく左右する。
また、空間ばかりでなく僧都(鹿おどし)のように一定間隔で打ち出される音によって、時間という「間」を意識させるとともに余韻が空間の広がりを再認識させるという効果や、逆に静けさを強調するという効果も生み出す

 

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これは芸術性有する日本庭園等に共通することであるとされる。
この発想は、造園だけにとどまらず、実利、実用性を重視する分野において、(本来あってはならないことだが)日本文化を潜在的に重視する人の場合、起こりえることとなる。

日本の素晴らしさを発見したきっかけ

  • 2020.03.12 Thursday
  • 05:04

JUGEMテーマ:玩具グッズ全般


仕事柄、海外出張の機会が多かった。当然、行った先で、何か、土産物を買いたくなる。
子供が小さかったこともあり、私は、子供のおもちゃを土産物に選んだ。

また、玩具は比較的買いやすい値段のものが多く、訪問した店の雰囲気がなんとなく楽しかった。

週末などは、近場の店やデパートで、いろいろ買い集めた。それを、あちらの国の郵パックの箱に詰めて、自宅に送ることにした。いろいろ買い集めるうちに、日本にも同じようなものがあることに気がついた。

 

途上国となると、そうはいかない。インドネシアのデパートに行き確かめたのだが、玩具そのものがまったく見当たらない。タイの場合はまだ現地由来と思われるものがあった。

これは何を意味するか?
植民地にされるということは、その国の文化すべてを抹殺されるということではないか。もともと子供の玩具がその国にはなかったということも考えられる。

 

それからというもの、日本の玩具を集めることに方針変更し、日本以上に、個性的で多様な玩具がある国はほかにないと思うようになった。

子供の玩具が豊富にあることは、子供の感性や資質に大きく影響する。日本人は、長くそのような環境で育ってきたのだ。

 

たかが、子供の玩具の次元のことだが、こんな素晴らしい国に生まれ、育った幸運に感謝せざるを得ないのである。

「日本」、「日の丸」、「お父さん」、「お母さん」、「今日は、さようなら」のもともとの由来、言葉の意味について

  • 2020.03.06 Friday
  • 15:21

JUGEMテーマ:今日のキーワード

 

境野勝悟が書いた、「日本のこころの教育」という本に、我々が、普段気に留めず、何気なく語っている国の名称、国旗、言葉のそもそもの意味について、説明がある。

・日本はなぜ「日本」というのか
・国旗が「日の丸」デザインとなった理由
・「お父さん」、「お母さん」という言葉のもともとの意味
・「今日は、さようなら」という言葉のもともとの意味

我々は、これらについて、明確に認識があったであろうか?

これらの事項については、高校の教科書(国語、歴史等)に掲載し、かつ大学の教育過程、教員免許関係講座、教員の免許更新の際の研修資料とすべきである。

以下、「日本のこころの教育」という本あるいは、関連サイトからの転載である。

 

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・日本はなぜ「日本」というのか

http://plaza.rakuten.co.jp/koalakoala/diary/201209230000/

 


・国旗が「日の丸」デザインとなった理由

 

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http://school.nasushiobara-be.ed.jp/~jhs-shiobara/H2119.pdf

国を象徴する国旗。日本の「日の丸」が、どういう理由でで
きたか。1853年、ペリーが黒船4艦を率いて三浦半島の浦賀に来た時、「何故、日本の舟にはナショナルフラッグか付い
ていないのか。ナショナルフラッグが付いていない舟はどこの国の舟ともわからないから大砲を撃ち込んで沈めても良いことになっている。来年来る時までに日本の国旗を付けて走るように。」と宣告された徳川幕府は、中黒(白地の中央に
黒の横一文字)を用いることを提案した。しかし、薩摩藩主島津斉彬は、桜島に上がる朝日を見て「あの爽やかな輝きい
づる太陽の光を以て、鎖国の夢を覚まさなければならぬ。日本の将来は古代から日本人が命の恩として愛してきた輝く太陽のようでなければ為らぬ。」と力説し、水戸の海防参与徳川斉昭が、最終的に1854年「日本の海防参与として命ずる。
日本の総旗印は、日の丸にする。」と言う布告をし、白地に太陽の「日の丸」が今日の国旗になったのです。あの時、も
し幕府の重役達の意見が決定されていたら日本の国旗は、白
地に黒の一本線の「中黒」の国旗になっていたのです。世界
中の人たちが、日本の日の丸を羨ましく、興味関心を示して
います。なぜなら、ほとんどの国々の人たちは、太陽を崇拝
し、太陽と共に生きてきたその太陽をストレートに国旗としている日本に感嘆(驚異の念を持っている)しているからで
す。1860年、勝海舟の乗った咸臨丸が、30数日を掛けサン
フランシスコ港に入った時、咸臨丸が礼砲を鳴らすと湾に停
泊していた沢山のアメリカ船のマストにするすると日の丸が
至る処に掲げられ歓迎の祝砲が放たれました。さらに、ニュ
ーヨークの街頭を使節団が馬車に乗って進むと、沢山のアメ
リカ市民が手に手に日の丸の小旗を持って大波のように打ち振って歓迎してくれました。勝海舟達は、胸を締め付けられ涙を流しました。

6-国旗はなぜ日の丸になった

http://ameblo.jp/kame2468/entry-10559222548.html

国旗についても制定のいきさつをご存知でない方が多いので、説明させてもらっています。国旗というものは明治以来、外国と交際しなければいけなくなったときにつくられました。

国旗が日の丸と決まるのに大きな力があったのが西郷隆盛です。威信の前、薩長が主力の官軍と徳川幕府が戦ったとき、官軍側は天皇家の菊の紋章を「錦の御旗」よして使いました。徳川幕府の方は葵の紋になつはずが、なにしろ突然のことでストックがありません。その時に細長い日の丸のマークの旗がいっぱいあったので代用したのです。実は、日の丸の旗は農民がつくったお米を運ぶご用船に揚げていたものです。お米は太陽の恵みによってできたのだから、それを運搬する船には必ず太陽のマークを付けなさい。幕府がそのように御触れを出していたのです。これを「日の丸御用船」といいます。

 明治の新政府が国旗をつくろうとした時、御前会館で山縣有朋、木戸孝允らが菊のご紋を国旗にしようとはかりました。そのときに西郷さんが反対して、私たち国民の命のマークの日の丸を国旗にするよう進言し、明治天皇も認められたのです。そういういきさつがあって、私たちの民族の命のマークの日の丸が国旗になりました。

◎致知BookWEB
http://www.chichi-book.com/book/lifestyle/0746.html

 

・「お父さん」、「お母さん」という言葉のもともとの意味

 

「日本のこころの教育」という本では、「お父さん」という言葉には、もともと「尊い人」という意味があり、お母さんという言葉には、もともと「太陽」の意味があるとしている。

おかあさん、おとうさん
http://www.holpforum.com/ef50/si05.html

 


・「今日は、さようなら」という言葉のもともとの意味

 

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日本のこころの教育 112〜115頁

『昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様」と呼んだのですから、
「今日は」
という挨拶は、
「やあ、太陽さん」
という呼びかけであったのです。
「元気ですか」の元気とは、元の気(もとのエネルギー)とういう意味ですから、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。
つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。
それを受けて、
「はい元気です」
と答えます。つまり、
「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」
と応答するわけです。それから、
「さようなら(ば)、ご機嫌よう」と
なります。

中略

「さようなら、ご機嫌よう」の意味は、
「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろし
いでしょう」となります。

「今日は、お元気ですか」
「はい、おかげ様で元気です」
「さようなら、ご機嫌よう」
これが、わたしたちの挨拶の基本だったのですね。

江戸時代までは、「さらば、ご機嫌よろしう」とか「さようなら、ご機嫌よう」と全部を言って別れていたのです。ところが、明治以後なると男性が「さようなら」と言って、女性が「ご機嫌よう」と掛け合いのように、言い分けるようになりました。しかも、昭和になると、女性のほとんども「ご機嫌よう」とはいわないで、「さようなら」だけを言って別れるようになってしまったのです。

中略

日本の挨拶は、やっぱり太陽さんとつながっていたことが分
かりますね。

 

唱歌「日の丸の旗」

  • 2020.03.06 Friday
  • 15:17

JUGEMテーマ:今日のキーワード

 

 

つい最近知ったことなのであるが、戦前の尋常小学一年用の唱歌に、唱歌「日の丸の旗」があるそうだ。


日の丸の旗 ひのまる 歌詞
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/hinomaru.html

 

君が代が四番まであったことは、知られているが、1番の作者についての情報は以下が参考となる。

「君が代」について知りたい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000204841


2番は源頼政、3番は藤原俊成、4番は大江匡房の和歌

4番まであった君が代
https://ameblo.jp/amethuchihajimete/entry-12087652759.html

改元の意義と歴史的経緯

  • 2019.06.07 Friday
  • 16:24

改元について、意義と歴史的経緯について述べた本を探したところ、「元号 全247総覧」(山本博文)にて、該当する箇所を見つけた。

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改元は、国の繁栄と人々の平安を願って続けられてきた

元号とは何か。『世界大百科事典』(平凡社)には、<一般には年号と呼ばれる。中国を中心とする東洋の漢字文化圏に広まった紀年法で、前漢の武帝のときに始まる。日本では645年(皇極4)蘇我氏の討伐を機に孝徳天皇が即位して間もなく、この年を大化元年と定めたのが最初である>とあるが、古来より、時の為政者は、人心を一新するために元号(年号)を変えてきた。 天皇が即位したりするなど慶事があった際の代初の改元はもちろん、大地震や大火が起きたり、天変地異によって基金になたり、あるいは疫病が大流行したりしたときも、そのつど災禍の改元に踏み切った。改元することでそれまでの災いを断ち切り、踏みだすべき新たな方向を人民に示そうとしたのである。また古来、中国で干支が辛酉の年を「革命」、甲子の年を「革令」といい、いずれも大きな社会変革や政治上の革命が起きるとされることから、その厄災を避けるために改元が行われた。そのため、1人の天皇が何度も解舷を繰り返すことは決して珍しいことではなかった。

たとえば、正長元年七月二十八鼻(1428年9月16日)から寛正五年七月十九日(1464年8月30日)まで在位した後花園天皇(第百二代)は、「永享」「嘉吉」「文安」「宝徳」「享徳」「康正」「長禄」「寛正」と、およそ三十六年間の在位期間のうちに八回も改元している。

明治になってから新しい天皇が即位したときに改元する「一世一元の制」に変わったが、それ以前の改元サイクルを調べてみると、「大化」依頼、江戸時代最後の「慶応」が改元される慶応四年j九月八日(1868年10月23日)までの千二百二十三年の間に、二百四十三もの元号が誕生している。その感覚は、南北朝時代のだぶりがあるとはいうものの、単純に平均するとわずか五年ほどだ。 ちなみに最も短いのは、四条天皇(第八十七代)時代の「暦仁」の二か月と十四日間、それに次ぐのが聖務天皇(第四十五代)時代の「天平感宝」の三か月と十五日間だが、そっこまで短くなくても、一〜三年足らずで変わった元号は数多い。逆に二十年以上続いた元号は、「延暦」の二十三年八か月と八日間。「正平」の二十三年六か月と二十七日間、「応永」の三十三年十か月と八日間、「天分」の二十三年二か月と九日間、「寛永」の二十年八か月と二十七日間などに限られる。それほど頻繁に元号を変えてきたのだ。

だが、だからといって人々が改元を軽んじていたというわけでは決してない。むしろ人々は、改元することで、「来たるべき時代こそ国が穏やかに治まって繁栄する事大であって欲しい」と心から願っていた。それだけ、非常に重要かつ精神的な儀式だったのだ。

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頻繁に改元が行われた時代の社会状況についての説明が省略されているが、著者が述べるとおり、「 改元は、国の繁栄と人々の平安を願って続けられてきた」という認識でいいと思われる。

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