ピルグリム・ファーザーズの非道について

  • 2019.07.01 Monday
  • 11:11

世界史の歴史教科書、副読本のどちらかに載せるべき、重要な史実を「日本国憲法は日本人の恥である 米国人歴史学者『目からウロコの改憲論』」(ジェイソン・モーガン)にて、見つけた。

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ピルグリム・ファーザーズの非道

メイフラワー号は、当初、ヴァージニア入植地に近いハドソン川の河口付近を目指していた。だが嵐のために予定よりかなり北寄りの現在のマサチューセッツ州に漂着したので、そこで越冬して春を待って入植を開始した。しかし、持ってきた野菜や小麦を植えたもののほとんど収穫できずたちまち食糧難に陥った。1621年4月までに半数が病死したとされる。 その絶体絶命の窮状を救ったのは先住民族のワンパノアグ族だった。酋長のマサソイトは「すべてを分かち合う」という先住民のしきたりに従って、清教徒たちに食料を与え、狩猟やトウモロコシの栽培法なども教えた。おかげで清教徒たちは全滅から救われた。 だが、マソサイトが死ぬと清教徒たちはワンパノアグ族の土地を奪い、キリスト教への改宗を迫り始めた。それに抵抗したマソサイトの息子は殺され、その首は20年間もプリマスの港に晒され、彼の妻子と一族もまとめてカリブの奴隷商人に叩き売られた。 清教徒たちにとってキリストを信じない者は人ではなかったのだ。そして清教徒たちは、信仰を守り、自分たちが生き延び、利益を得るためなら平気で先住民を殺した。それは、その後、白人たちが「アメリカの西部開拓は神の意思による当然の運命である」とするマニフェスト・デステイニイの始まりとも言える行いであり、マニフェスト・デスティニーの暗黒面の発露だった。

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日本で布教活動しているアメリカ人たちは、この史実を知っているのか? 知らないなら教えてあげるべきことだ。

宗教的には、アメリカ清教徒の原罪と位置づけるべきことであろう。

隠れキリシタンは異端なのかそうでないのか

  • 2017.06.23 Friday
  • 06:36

ブラジルでの異端審問の経緯を知ると、長崎の隠れキリシタンは異端なのかそうでないのか?教義的な疑問が湧く。

異端審問の女たち http://www.cenb.org.br/articles/display/68

隠れキリシタンの内容。隠れキリシタンとキリスト教は全く内容が違うと聞きました。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1372584503

隠れキリシタンというのはカトリックから見て異端ですか? https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1434693369

現代に生きる人たちは、それを異端とはみなさないようだ。Yahoo知恵袋のこの種の質問の多さは異常である。きっと、先祖が隠れキリシタンだった方がおられ心配されるのだろう。

再び、ブラジルでの異端の審問の状況を読んでみると、些細な生活習慣までも咎めていることがわかる。

異端審問の女たち http://www.cenb.org.br/articles/display/68

イエズス会での審問の内容を広範囲に調べた訳ではないが、異端審問に深く係わったイエズス会については、フランシスコ・ザビエルの言動から、その時代の支配者が求める価値判断に沿った、時に冷徹なものであったと考えざるを得ない。

すなわち、もし、我が国が植民地化された場合、彼らが厳格に異端審判する視点でみれば、口実を見つけて異端だと彼らは主張、手続きに沿って異端だっと結論づけられれば容易に処刑が実行可能だったとの判断に達するのである。

これは調べた訳ではなく、仮説に過ぎないのであるが、戦後のイエズス会中枢機能が明らかに首都東京に移転したのであれば、かつて異端審問に熱心に取り組んだイエズス会ならば………あの地を大量破壊兵器投下地点に選ぶであろうと考えるに至る。

なぜなら、スペインやポルトガルにて、キリスト教に改宗したユダヤ人が偽キリスト信者であると追放された歴史があることを知ると、そういう視点を放棄できないのである。

キリスト教布教にサクラ部隊が随行した疑惑?

  • 2017.06.18 Sunday
  • 19:52

新興宗教にはサクラ部隊が付きものだとされる。

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http://super-copywriter.com/post-1404

・集団心理を利用して意識を統一化させていること

これは完全にマーケティングにも共通する話だと思います。 集会で全員が1つの対象(教団の場合では教祖)に、周りが心酔している雰囲気につられ無意識のうちに自分も同じ行動をとるようになるという心理が人間にはあります。 これは政治集会で言う所の拍手部隊、つまり「サクラ」を想像してもらえればわかりやすいと思います。 イマイチ良くわからない、もしくは伝わらない演説だったとしても周りが歓声と拍手を上げればそれに釣られてしまう。 そして「良く理解できていない自分」に負い目を感じ、理解しているフリをしているうちに本気で演者を素晴らしい人物であるという印象を持ってしまうというものです。 ちなみに「本気になるスイッチ」は行動にあります。 例えば、 政治集会では=“拍手”や“歓声”など 宗教集会では=“合掌”や“深いお辞儀” 音楽のコンサート等では=“手を上げる“や”頭を振る“ 本来の自分1人では決して取らない行動を集団心理によって引き出された時にスイッチが入り、そこから抜け出せなくなります。 これをビジネスに置き換えると、“行動しない読者”に対して何らかのアクションを促し、行動させることによって同じような効果を得ることができます。 ここで「信頼」という土壌を作る訳ですね。

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以下に、宣教師が帰っても別組織が維持されていたとの情報がある。

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https://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume/71897491.html

カブラルの経歴や日本での足跡を辿ってみますと、ザビエルとの接点が見えてまいります。第一に、カブラルは、インドで軍人として活動しておりますが、5月3日付本ブログにて述べましたように、インドのゴアのボン・ジーザス聖堂The Basilica of Bom Jesusにはザビエルの右腕下膊が安置されており、インドもまたザビエルがその組織づくりに力を入れていた地域です。そもそも、当時の軍人は、私拿捕船、すなわち、海賊的な側面があり、カブラルは、武器密輸や掠奪などの犯罪行為に対して寛容な考えを持っていたと推測することができます。   第二は、1573年(天正元年)に、カブラルが山口を訪問していることです。山口はトーレスが1556年(弘治2年)に訪れてから誰も宣教師が訪れていなかった地域であったのですが、カブラルは信徒の大歓迎を受けております。このことは、ザビエルが山口につくった強固な「裏イエズス会」とも称すべき国際組織は、宣教師たちが山口を去っても機能していたことを示しております。

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なぜ、大歓迎を受けるか? それは大歓迎されるほどの利益をこの地域にもたらしたか? 別の理由があると、普通は考える。

そのザビエルは、多くの人を入信させたとする。

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https://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume/71901171.html

ザビエルが布教に訪れると、そこの信者たちがザビエルを神のように崇めて、扱ったため、この様子を見ていた人々は、ザビエルをさぞや‘尊い人’であろうと認識するようになり、多くの人々が入信したと言います。

このことは、シェークスピアの『リチャード?世』におけるリチャード?世の‘さくら作戦’を想起させます。悪逆非道な行為を繰り返し、品性や道徳心に欠けるリチャード?世は、当然国民の間で不人気であり、王位は不安定となるわけですが、自らが不人気であることを誤魔化しその地位を安泰とするために、腹心のグレー卿に、所謂‘さくら部隊’をつくらせます。リチャード?世は、このさくら部隊の部員たちに、自らをあたかも尊敬に値する‘偉い人’であるかのごとくに、‘恭しく’扱わせることで、このさくら部隊の演技を見ていた他の国民に、‘リチャード?世は偉い人である’という錯覚を生じさせるように仕向けたのです。   『裸の王様』のお話のような人間の集団心理を利用した詐欺なのですが、このような詐欺的策略は、効果があるがゆえに古来より使われていたようであり、ザビエルたちも、恐らく、この方法をつかったと推測することができるのです。すなわち、カブラルたちは、尊敬されている間は何をしていても疑われない、真の姿が見えないという点から、‘さくら作戦’を行っていたと推測することができるのです。   そして、今日でも、‘さくら部隊’は、存在しているのではないでしょうか。

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ザビエルの言行はどうだったのか?ということになる。 ある日本人は、対話の中で言行一致がポイントだとしたようだ。

ザビエルと弥次郎との 対話 ・ 言行一致しているなら ! https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-11602397247.html

ザビエルの書簡は以下に揃っている。 概ねうまく言っているとする見解ばかり述べている。

フランシスコ・ザビエルからの手紙(1) http://seseragi-sc.jp/xe/3358

フランシスコ・ザビエルからの手紙(2) http://seseragi-sc.jp/xe/3360

フランシスコ・ザビエルからの手紙(3) http://seseragi-sc.jp/xe/3362

 フランシスコ・ザビエルからの手紙(4) http://seseragi-sc.jp/xe/3364

フランシスコ・ザビエルからの手紙(5) http://seseragi-sc.jp/xe/3366

フランシスコ・ザビエルからの手紙(6) http://seseragi-sc.jp/xe/3368

フランシスコ・ザビエルからの手紙(7) http://seseragi-sc.jp/xe/3370

フランシスコ・ザビエルからの手紙(8) http://seseragi-sc.jp/xe/3372

フランシスコ・ザビエルからの手紙(9) http://seseragi-sc.jp/xe/3374

フランシスコ・ザビエルからの手紙(10) http://seseragi-sc.jp/xe/3376

フランシスコ・ザビエルからの手紙(11) http://seseragi-sc.jp/xe/3378

フランシスコ・ザビエルからの手紙(12) http://seseragi-sc.jp/xe/3380

なぜ、そういう見解が続出するのか?

彼らは、キリシタン戦国大名が有利な戦を進めるべく、武器を供給し、布教に理解のある大名を勝たせようととした、そういう記述を読んだことがある。 布教を否定する大名を人間としてみなさず、布教に協力的な大名のみを人間として扱った、かもしれない。 ザビエルの時代、キリスト教徒は人間、異教徒は人間として扱われていなかったことを知っていれば、これらの解釈は成り立つ、

つまり、協力者たちが優勢なうちは、万事うまくいっているという書簡になるはずなのだ。

ザビエルからの手紙に載っている、一番しつこく質問した人から信者になったという記述があったが、しつこく質問した人がサクラ部隊なのか、冒頭でサクラ部隊を意識した関係でそこが気になるところである。

スペイン異端審判からわかること

  • 2017.06.10 Saturday
  • 06:35

Wikipediaのスペイン異端審判を読んでみた。

スペイン異端審判の目的として考えられる特徴的なことを箇条書きで纏めてみたい。

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●目的その1 王権強化

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

スペイン異端審問(スペインいたんしんもん)は15世紀以降、スペイン王の監督の下にスペイン国内で行われた異端審問のこと。宗教的な理由というよりも政治的な思惑が設置に大きく関わっている。15世紀末にフェルナンド2世が、コンベルソ(カトリック改宗したユダヤ教徒)に起因する民衆暴動を抑え、多民族であるスペインのカトリック的統一を目的にローマ教皇に特別な許可を願って設置された。王権制約的であったアラゴン諸王国に対する王権行使の機関、中央集権機関としての側面もある。設立当初の審問の対象者は主にコンベルソとモリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)であった。

●目的その2 債務だらけの国王の債務帳消し

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

カスティーリャ王国のイザベルとアラゴン王国のフェルナンド2世の結婚(1469年)レコンキスタの完了(1492年)により、スペインに待望の統一王権が誕生した。フェルナンド2世にとって国内の一致のためにも、表面上はキリスト教に改宗しながら実際には自分たちの信仰を守っていたモリスコ、コンベルソの存在が邪魔なものになっていた。フェルナンド2世は異端審問のシステムを用いれば、これらの人々を排斥し、政敵を打ち倒すことができると考えた。さらにフェルナンドはユダヤ人金融業者から多額の債務を負っていたため、もし金融業者たちを異端審問によって社会的に抹殺できれば債務が帳消しになるという思惑もあった。

●目的その3 密告による報奨金目当て

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

異端審問は告発者が秘密であることが特色であったため、しばしば異端と関係ない無実の人々が恨みなどから、あるいは王室から与えられる報奨金目当てに訴えられることも多かった。裕福なフダイサンテ(スペイン語版)(隠れユダヤ教徒)の告発は王室自身が行っていたであろうことは裁判後に資産が王室に没収されたことからうかがえる。

●目的その4 反宗教改革の中心的役割

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

宗教改革の時代に入ると、異端審問所はその照準をフダイサンテから「古くからのキリスト教徒」へ移す。彼らの宗教生活を監視し、少数ではあったがプロテスタントや照明派に対しても審問が行われ、スペイン反宗教改革の中心的役割を負った。またスペインにおいては魔女は異端審問ではほとんど扱われず、訴えがあった場合でも精神異常者ということで釈放されることが多かった。

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時の支配者が宗教界と結託、王権の強化とカネ目当ての異端審判だったことがわかる。

日本で知られているイエズス会は、スペイン異端審問にはほとんど係わりがないようである。 すなわち、イエズス会は、この時代、ポルトガル利権であったことになる。

イエズス会創設は1534年であることから、イエズス会は、スペイン異端審問の目的と手法を十分に把握ししたうえで実行に移されたと推定できるのである。

キリスト教界は「被害者意識」で禁教されたと言うべきではない?

  • 2017.06.07 Wednesday
  • 04:53

日本に布教に来た宣教師が日本に滞在した期間は、概ね40年に亘る。

異端審判、武器取引等に熱心だった、三人の宣教師について、日本の滞在期間を記す。

フランシスコ・ザビエル:1549〜1551年 フランシスコ・カブラル:1570〜1583年 ガスパール・コエリョ:1572年〜1590年(1581年以降は、カブラルの後任?)

ここで、ガスパール・コエリョに係わる経緯について、参照したい。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%A7

ガスパール・コエリョ ガスパール・コエリョ(Gaspar Coelho、 1530年-1590年5月7日)はポルトガル出身で戦国時代の日本で活動したイエズス会司祭、宣教師。イエズス会日本支部の準管区長をつとめた。 概説 ポルトガルのオポルト生まれのコエリョは1556年にインドのゴアでイエズス会に入会した。同地で司祭に叙階され、1572年(元亀3年)に来日。九州地方での布教活動にあたった。1581年(天正9年)に日本地区がイエズス会の準管区に昇格するとアレッサンドロ・ヴァリニャーノによって初代準管区長に任命された。1585年(天正13年)には宣教を優位に行いキリシタン大名を支援する為、フィリピンからの艦隊派遣を求めている。さらに日本全土を改宗した際には日本人を尖兵として、中国に攻め入る案を持っていた(この案は彼だけでなく多くの宣教師が共有していた)。1586年(天正14年)には地区責任者として畿内の巡察を行い、3月16日に大坂城で豊臣秀吉に謁見を許され、日本での布教の正式な許可を得た。 しかし翌1587年(天正15年)、九州平定を終えた秀吉は、ポルトガル商人が日本人を奴隷等として海外に売っていた事を知ると、バテレン追放令を発布、布教責任者であるコエリョを召喚して叱責した。 コエリョ自身もヴァリニャーノが定めたキリシタン領主に過度の軍事援助を慎む方針を無視し、フスタ船(英語版)を建造して大砲を積込み、更にはそれを博多にいる秀吉に見せるという行為を行った。高山右近や小西行長がこの行為を懸念し、コエリョにその船を秀吉に献上するように勧めたが、これに全く応じなかった。ヴァリニャーノやオルガンティノによると、バテレン追放令はコエリョのこうした挑発的な行為に主な原因を求められるとしている。 これを受けたコエリョは大友宗麟や有馬晴信に対して、キリシタン大名を糾合して秀吉に敵対することを求め、自身もその準備に乗り出したが、晴信は小西行長と同様に彼を嫌っていたので実現しなかった。その後、コエリョはフィリピンへ援軍を求めたが拒否されると、1589年(天正17年)にマカオに使者を送って天正少年使節を伴って再来日を伺っていたヴァリニャーノに、各位に働きかけて大規模な軍事援助を求めるよう要請した。 その間、全国のイエズス会員たちを平戸に集結させ、公然の宣教活動を控えさせることにした。コエリョは1590年(天正19年)に肥前国加津佐で没した。ヴァリニャーノは彼の要請に驚き、彼が準備していた武器・弾薬を総て売り払い、日本で処分するのが不適当な大砲はマカオに送ることを命じている(ただしヴァリニャーノも程度の差こそあれ、かつては彼と同様にキリシタン大名へ支援することは考えていた)。 参考文献 高瀬弘一郎「キリシタン宣教師の軍事計画」『キリシタン時代の研究』1997 岩波書店

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ザビエルが、異端審問の先駆者、実践者、ゴアでの異端審問の提言者 カブラルが、日本人差別主義者、ゴアでは異端審問に関係あり? コエリョが、キリシタン大名に内戦をけしかける煽動者兼武器商人兼奴隷商人

もし、私が、秀吉だったら、当然のことであるが、禁教令を出すだろう。

ゴアと同様、日本に異端審問所を開設する可能性がある宣教師 日本人を見下し、日本人を差別し、陰で裏ビジネスをしているかもしれない宣教師 キリシタン大名に内戦をけしかける煽動者兼武器商人兼奴隷商人の顔を持った宣教師

イエズス会は、三代続けて、とんでもない宣教師を派遣、日本を最終的に武力で支配、大和民族を異端審判で抹殺しようとした可能性がある。

善良だと思われていた宣教師ですら、武力侵攻の支援者だと知れば、キリスト教会が、禁教された被害者を装うのであれば、問題視せざるを得ないのである。

ザビエル、カブラル、コエリョの名を示して、キリスト教界に深い反省を求めるべきと考えるのである。

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