GHQプレスコードは米兵強姦事件隠蔽のためだった

  • 2016.10.28 Friday
  • 08:37

 水間政憲が書いた「ひと目でわかる慰安婦問題の真実」という本は、韓国が提起するでっち上げの慰安婦問題に係わる反論本である。

以下のサイトにて、資料引用頁が読める。

水間政憲 著『ひと目でわかる慰安婦問題の真実』について http://dwellerinkashiwa.net/?p=1128

実は、この本、アメリカの進駐軍が上陸直後、日本人女性に対する強姦事件等が多発していたとする史料が載っている。  進駐軍不法行為1  進駐軍不法行為2  進駐軍不法行為3    進駐軍不法行為4

それによると

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「ひと目でわかる慰安婦問題の真実」からの抜粋

・9月19日、GHQ「プレスコード」は発令されて以後は、米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。これで米国は「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。

・警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、手当たり次第に強奪されていた。

・「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見することである。

・元外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、10月末日までに強姦29件となっている。しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。

・N病院は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人とかいう説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十数人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦。雑役婦などが凌辱された。

・昭和28年2月27日に載った第15国会の社会党の藤原道子の質問の議事録だが、そこにはこのように書かれている。「米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後八ヶ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は膨大な数であろうと想像されていおります」

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内務省資料によると、件数的には、8月30日から9月10日の12日間で、強姦96件、警察(への暴力?)77件、一般人(への不法行為?)424件が記録されている。

要するに、米兵は、その辺の山賊の類と変わりなかったのである。

実は、私の父、当時徴兵され横須賀におり、これら不法行為を働く米兵と素手で喧嘩し、投げ飛ばしたそうである。若い頃の武勇伝として何度も聞かされた。 相手は、黒人だったそうだ。

従って、水間政憲がこの本で書いていることを体験的に知る人は多いと思うのだ。 また、私の郷里では進駐軍に接収された施設が、見る影もなくガラクタ同然にされたとの記録がある。

沖縄米軍基地反対運動はやり過ぎな面はあるが、これまで警察が野放しにしてきたのも上陸直後の米兵の素行の悪さを知っているからなのであろう。だが、進駐軍が上陸直後にやった不法行為は、決して許されるものではない。

まして、GHQ「プレスコード」がこの種の不法行為の隠蔽工作のために最初に機能したことを知れば、GHQの存在は日本にとって悪夢としか言いようがない。

アメリカ人、そして米兵として日本に上陸した者たちは人として恥ずべきことをしたと自覚すべきだと思う。

ヒラリー・クリントンは、慰安婦問題について対日批判論者であるようだが、米軍こそが、非難されるべき対象であることに気づいているのであろうか?

また、講演等で、日本軍が悪いなどと発言した、(元米兵)ドナルド・キーンも同様である。日本人なら米兵の悪行について批判して当然だろう。

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http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/m/201403/1

ドナルド・キーン氏の、戦勝国としてのアメリカの欺瞞や戦争犯罪など 50年経てばもう時効だろうという文言を読んだことがあるが、今現在 アメリカの政策は続いているので、時効はあり得ない。 三島由紀夫研究などなさっている方であろうに、浅薄なことをいう人がいるものだ。

沖縄慰霊の日…ドナルド・キーン氏に聞く http://blogs.yahoo.co.jp/alfmom29/36707334.html

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こういう経緯を調べれば調べるほど、アメリカが押し付けたとされる、日本国憲法は表現の自由は保障されているが、GHQがマッカーサーの指示で米兵の強姦事件等を隠蔽したことを知るならば、マッカーサーは日本史上最低の統治者という評価にならざるを得ない。

GHQが天皇陛下に対して行った復讐

  • 2015.12.23 Wednesday
  • 13:04

天皇陛下が、天皇誕生日に際し、今年も何事か述べられた。

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http://www.yomiuri.co.jp/national/20151222-OYT1T50135.html?from=ytop_main5

天皇陛下、82歳に「先の戦争考えて過ごした」 2015年12月23日 05時00分

 天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた。

 これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした」と、戦後70年の節目を迎えたこの1年を振り返られた。

 ■戦没者への思い

 陛下は、「平和であったならば、有意義な人生を送った人々が命を失った」と述べ、戦没者へ深い哀悼の意を示すとともに、戦争を知らない世代が増えていることを挙げ、「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが、日本の将来にとって極めて大切」と強調された。

 6月の戦没・殉職船員追悼式では、強制的に徴用され、十分な護衛もない中、命を落とした民間船の船員らを思い、供花されたという。慰霊のため4月に訪れたパラオでは、美しい海に無数の不発弾が残り、処理には大変な時間がかかると知ったとして、「島々に住む人々に大きな負担をかけてしまったことを忘れてはならない」と述べられた。

 ■被災地への気遣い

 各地で発生した自然災害の被災者も気遣われた。

 5月の鹿児島県口永良部島の噴火を挙げ、「みな無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています」と島民たちの暮らしを心配された。一方、9月に鬼怒川の堤防が決壊した茨城県常総市の被災地で、多くのボランティアが復旧作業に協力したことに触れ、「困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが、日本人の中に育っていることを心強く思います」と明かされた。

 ■うれしいこと

 喜ばしいこととしては、日本人研究者2人のノーベル賞受賞を挙げられた。

 以前、寄生虫病の「オンコセルカ症」で失明した患者たちの映像を見て心を痛めたといい、特効薬の開発に貢献した研究者の受賞を「本当にうれしく思いました」とたたえられた。

 日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が成功したことも、「うれしいこと」に挙げられた。1962年に戦後初の国産プロペラ旅客機「YS11」の試験飛行を関係者とともに見守ったことを懐かしく思い出されたという。

 会見の終わりに、陛下は「この誕生日で82歳になります。年齢を感じることも多く、行事の時に間違えることもありました」と率直に明かされた。「一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」との考えを示された。

          ◇

 (宮内記者会代表質問)

 問 今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫付属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。

 戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。

(ご回答)

 今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳しんだけが噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、(茨城県)常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

 今年の喜ばしい出来事としては、まず2人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見いだされたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。

 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵はがきを見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。

 この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領ご夫妻、マーシャル諸島大統領ご夫妻、ミクロネシア連邦大統領ご夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国はサンゴ礁に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

 パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾きたはらお、栃木県の千振ちぶり、長野県の大日向おおひなたと戦後の引き揚げ者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

 今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。

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天皇陛下の上記発言の一部を自虐史観と捉える方が少なからずいる。

ここで、天皇誕生日とGHQによる戦犯措置日の関係について参照したい。

GHQは、昭和天皇が、開戦に関与したと主張したいことが、以下の日付設定からわかる。

・A級戦犯の被告人名簿公表日は昭和天皇誕生日の1946年4月29日

・A級戦犯の処刑日は今上天皇誕生日の1948年(昭和23年)12月23日

戦犯回避を口にした者が、日付設定では、戦犯であると明らかに暗示している。

こうまで、されれば、もし天皇陛下が、戦争肯定発言した場合、何者かが……………ということが起きる気配を感じるのだ。宮内庁職員にクリスチャンが多いのは、そういう事への対応を準備していると私は見ている。

では、彼らは、本当にするのかというと

【福島県・会津地方の皆様へ?】佐賀人雅子妃による本当にあった悠仁様殺害計画、拡散希望 http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/c99b372f090c8de9a500169a418f41e8

こういう情報を知ると、実行寸前の事案があったことがわかる。

また、鬼塚英昭が書いた、フリーメーソン上層部にまつわる本「20世紀のファウスト」(上、下)によれば、●殺指令は、ほぼ確実に実行されていることがわかる。

では、どうやって? 指令を受けた人物が実行を躊躇うと……

という仕掛けが歴史的に繰り返されてきた可能性を指摘する。

従って、天皇陛下は、そういう者たちが周囲にいる関係で、念仏の如く、繰り返さざるを得ない罠に嵌められた気がする。

私は、気がすると書いた。

では、天皇陛下の歴史認識発言が問題であるとされる方、二代続けて、GHQの処置実施日と重なる意味をどう受け止められるのか?

陛下の身代わりに訴追、処刑された、かもしれない人々がいたことなどを含め、示し、そのうえで誕生日にかく語られた、と書く配慮が必要ではなかったのか?

確かに、マッカーサーの腹心、ボナー・フェラーズは、天皇の戦犯訴追回避を口実に、米内光政と密談を繰り返し、その対応の中で数々の秘策というかシナリオを示した。 そして、確かに、戦犯訴追回避はされた。

しかし、二代続けて、戦犯訴追、処刑実施日を天皇誕生日に当てる、政治的意味を考えたい。

天皇の戦犯訴追回避のGHQ側の当事者は、マッカーサーの腹心、ボナー・フェラーズである。彼は、戦犯の訴追回避の協力者そして親日家として知られている。

どう考えても、これは、明らかな裏切りであろう。ボナー・フェラーズは親日家で知られた軍人だったからだ。

私は、ボナー・フェラーズの親日は、ポーズであろうと睨んでいるのである。

広田弘毅元首相が戦犯指定された背景について

  • 2015.12.17 Thursday
  • 18:35

「落日燃ゆ」(城山三郎)の小説などで悲劇の主人公として描かれることが多い、元首相広田弘毅について、なぜA級戦犯指定を受け、処刑されなければならなかったのか、 完璧と言えない可能性はあるものの、広田弘毅元首相が、戦犯指定を受けた背景について考察を行った。

まず言えそうなことは、名門の出ではない関係で、守ってくれる後ろ盾が見つかりにくいことである。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%94%B0%E5%BC%98%E6%AF%85

昭和天皇は広田が総理になることについて、西園寺に「広田は名門の出ではない。それで大丈夫か」と尋ねた。広田は名家出身でないのはもとより、親類・縁者にもこれといった人がなかった。当時の日本は業績主義が徹底し、出自に関わらず軍学校を経て高級軍人や帝国大学を経て高等文官への道が開かれていた[注釈 2]。

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つまり、訴追したい人が、不足する場合、理屈をこじつけて、戦犯指定として。選ばれやすいことを意味する。

次に、言えそうなのは

蒋介石が昭和天皇を戦犯リストから外すことに併せ、その代わりを誰かに代替させたいと考えた可能性があることだ。

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http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015080200070

戦犯リストから消えた「天皇」=米国追随と共産化防止−蒋介石が早期決定・中国

  1945年6月に中華民国・国民政府が作成した日本人戦犯リスト。トップに「日皇裕仁」(昭和天皇)と記載されている  日本との戦争最終局面の1945年6月、当時中国を統治した中華民国・国民政府が作成した日本人戦犯リストのトップに「日皇裕仁」(昭和天皇)が掲げられたが、終戦直後の9月のリストからは消えていたことが分かった。蒋介石主席の意向で決まったもので、連合国・米国に追随する方針のほか、共産主義の拡大防止という背景があった。米スタンフォード大学に保管される「蒋介石日記」でも同年10月下旬、「日本戦争犯罪人を既に裁定した」と記されており、終戦後の早い段階で「天皇免訴」が決定していた。

昭和天皇「蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤首相に促す−日米文書で判明

 時事通信が中華民国の外交文書を公開する台湾の「国史館」や国民党史料を所蔵した「党史館」で入手した複数の戦犯リストや内部文書のほか、「蒋介石日記」の記述で判明した。  国民政府は終戦前から、戦犯リスト策定に着手しており、45年6月に軍令部が「侵戦(侵略戦争)以来敵国主要罪犯(犯罪人)調査票」を作成。戦犯トップに「陸海空軍大元帥」として「日皇裕仁」を掲げ、「侵略戦争の主犯・元凶」と明記した。日本の軍国主義による侵略の根源が天皇にあるとの見方は中国で根強く、議会に相当する民意機関「国民参政会」も7月17日、「天皇を戦争犯罪人に指名する」決議を可決した。  これに対して蒋介石は「日記」で9月21日、「当面の急務」として「戦争犯罪人(決定)」を挙げ、10月8日には「外交急務」として「日本軍戦争犯罪人の決定」と記した。同月14日に東条英機(元首相)ら12人を「特務工作の悪事を尽くした」として戦犯指定した。「日記」からは蒋介石の意向が選定に反映されていたことが分かり、9月の戦犯リストから天皇の名前は除外されていた。  蒋介石が「戦争犯罪人決定」を「急務」とした10月8日、国民参政会の決議に対し、戦犯問題を調査した司法行政部と外交部は天皇の戦犯認定について「蒋主席とトルーマン米大統領が、日皇の運命は日本の民意が自ら選択すべきであると共に表明した」と否定的な方向に傾いた。また当初、天皇を戦犯リストに掲げた軍令部は「皇室は将来的に日本の侵略国策を復活させる源泉だ」としつつ、「同盟国(連合国)によるポツダム宣言の円滑な命令執行と、共産主義勢力拡大の防止」のため、天皇免訴が必要だと方向転換した。  最終的には蒋介石の統括する国防最高委員会が45年12月28日、「日本問題処理の意見書」を決定。「同盟国の誤解と日本人の反感を回避」するため、「天皇と天皇制存廃の問題は、原則として同盟国の共同意見に従い処理する」との方針を確定した。  蒋介石政権は46年5月からの極東国際軍事裁判(東京裁判)に向け、東条ら計32人の戦犯リストを2回に分けて連合国軍総司令部(GHQ)に提出した。

◇中国が指定した日本人戦犯  【第1次(1945年10月)】 ▽土肥原賢二(奉天特務機関長)★▽谷寿夫(第6師団長)▽橋本欣五郎(陸軍大佐)★▽板垣征四郎(陸相)★▽畑俊六(中国派遣軍総司令官)★▽東条英機(陸相・首相)★▽影佐禎昭(中国派遣軍総司令部付)▽酒井隆(第23軍司令官)ら11人  【第2次(46年1月)】 ▽南次郎(陸相)★▽荒木貞夫(陸相・文相)★▽平沼騏一郎(首相)★▽阿部信行(首相)▽米内光政(海相・首相)▽小磯国昭(首相)★▽嶋田繁太郎(海相)★▽広田弘毅(外相・首相)★▽松岡洋右(外相)★▽東郷茂徳(外相)★▽梅津美治郎(関東軍総司令官)★▽松井石根(上海派遣軍司令官)★▽寺内寿一(陸相)▽牟田口廉也(第18師団長)ら21人 (注)★は極東国際軍事裁判でA級戦犯として起訴。(2015/08/02-18:40)

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さらに、言えそうなのは、東京裁判の戦犯指定に関して、昭和天皇の訴追を避けるという理由から、東条英機元首相に全責任を負わせるという、方針がGHQの、それもマッカーサーの腹心から示されたことである。

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「河合道とボナー・フェラーズ  陛下をお救いなさいまし」(岡本嗣郎)

 275頁

 天皇制の存続は戦争放棄条項と引き替えだった。不戦・平和主義の宣言が象徴天皇制を可能にした。日本政府がこれを受け入れ、憲法改正草案要綱として正式に発表したのは三月六日だった。 フェラーズが元首相・米内光政を総司令部に呼び、ひそかに「東条に戦争の全責任を負わせよ」と指示した日である。  一九四六年七月二十三日、フェラーズは日本を去った。再就職先は、アメリカ海外退役軍人協会だった。翌年十一月、共和党全国委員会副委員長に転身している。

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その指示を受けたのが、終戦時海軍大臣であり、元首相だった米内光政である。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%BE%A9%E5%93%A1%E7%9C%81

第二復員省

1945年(昭和20年)12月1日付を以て海軍省が廃止され、第二復員省が設置された。「第二復員省官制」(昭和20年勅令第680号)に基き設置され、「第一復員省官制の廃止等に関する勅令」(昭和21年勅令第314号)によって廃止された。第二復員省資料整理部(旧軍令部第一部作戦課が中心)では海軍再建の研究も行われ[1]、それらの出身者は海上保安庁から海上警備隊を経て海上自衛隊の創設へと貢献した。

極東国際軍事裁判対策

極東国際軍事裁判では、旧海軍軍令部出身者の豊田隈雄元大佐らを中心に昭和天皇への訴追回避、旧海軍幹部への量刑減刑に秘密裏に奔走した。 裁判開廷の半年前には、永野修身元帥以下の海軍トップを集めて、天皇の責任回避のための想定問答集の策定を行い、米内光政をGHQ側と折衝させるなどの工作を行った。そうした結果、昭和21年3月6日にはGHQのボナー・フェラーズ(英語版)准将から米内に対して、天皇免責のために裁判では日本側が証言をするなどの努力が欲しいこと、陸軍に開戦の責任の大部があるなど、裁判についての内々の回答を得たという。

また、BC級戦犯裁判においては、中央への責任問題の波及を避けるため、現地司令官レベルで責任を完結させる弁護方針を立てて証人を隠すなどの工作も行っている

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また、米内光政は、旧海軍幹部への量刑嘆願に関与していたようであり、そのための想定問答集が存在したとされる。

米内は、広田弘毅が無実かどうかではなく、旧海軍幹部が無傷で済むことを優先したであろうことは想像に難くない。

その米内光政内閣は、陸軍による謀略的措置で短命に終わったとされる。しかし、米内内閣は、昭和天皇の要望であったとされる。

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米内光政

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%86%85%E5%85%89%E6%94%BF

1940年(昭和15)1月16日、第37代内閣総理大臣に就任する。米内を総理に強く推したのは昭和天皇自身だったようだ。この頃、ナチス・ドイツはヨーロッパで破竹の猛進撃を続け、軍部はもとより、世論にも日独伊三国軍事同盟締結を待望する空気が強まった。天皇はそれを憂慮し、良識派の米内を任命したと『昭和天皇独白録』の中で述べている。

陸軍と米内の関係は最初からうまく行かず、倒閣の動きは就任当日から始まったといわれる。陸軍は日独伊三国同盟の締結を要求する。米内が「我国はドイツのために火中の栗を拾うべきではない」として、これを拒否すると、陸軍は陸軍大臣・畑俊六を辞任させて後継陸相を出さず、米内内閣を総辞職に追い込んだ。当時は軍部大臣現役武官制があり、陸軍または海軍が大臣を引き上げると内閣が倒れた[注 1][注 2]。米内はその経過を公表して、総辞職の原因が陸軍の横槍にあったことを明らかにした。昭和天皇も「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と、石渡荘太郎に語っている。

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どうやら、昭和天皇の本心は、陸軍ではなく、海軍指向だったようである。

こういう経緯を知ると、米内内閣の倒閣に直接、間接に関与した者たちは、海軍にとって、東京裁判の場を借りて復讐したい動機があり、そのために、上記想定問答集がつくられ、GHQ幹部との水面下の折衝が行われ、GHQ幹部による陸軍責任論へと繋がるのである。

そして、戦争を避けるために?米内光政を要望した昭和天皇は、米内光政の戦後の動きを黙認し、同時に、米内内閣倒閣に間接的に係わった者たちの存在は、戦後処理として避けられないと認識したかもしれない。

さて、米内内閣を間接的に倒閣させた制度とは、軍部大臣現役武官制であるとする指摘があり、その制度は、広田弘毅内閣時代に発足したことが確認されている。

軍部大臣現役武官制 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%83%A8%E5%A4%A7%E8%87%A3%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E6%AD%A6%E5%AE%98%E5%88%B6

その、軍部大臣現役武官制を復活させた広田弘毅内閣は、その制度によって崩壊させられている。そして、軍部大臣現役武官制の弊害が、相次いで確認されている。

陸軍による政界圧力は日に日に高まり、その原因をつくったのは軍部大臣現役武官制を復活させた広田内閣という、海軍想定問答集的視点(実際に読んだことはないが)でみた、海軍に都合良いシナリオに結びつくのである。

こう考えると、東京裁判は、海軍による陸軍に対する復讐裁判という性格を帯びているかもしれない。

本稿はとりあえずの作文である。これが真相なのかどうか、引き続き検討を続けることは言うまでもない。

マッカーサーは大統領選挙資金を日本で調達したのではないか?

  • 2015.12.11 Friday
  • 08:50

アメリカ大統領選挙と言えば、天文学的に金がかかる選挙であろうと、普通は予想する。

マッカーサーは、連合国軍最高司令官としての任務期間中、すなわち1948年の時点で大統領選挙出馬を望んでいたそうである。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.A4.A7.E7.B5.B1.E9.A0.98.E9.81.B8

マッカーサー

大統領選

連合国軍最高司令官としての任務期間中、マッカーサー自身は1948年の大統領選挙に出馬する事を望んでいた。しかし、現役軍人は大統領になれないため、早く占領行政を終わらせ凱旋帰国を望んでいた。そのため、1947年からマッカーサーはたびたび「日本の占領統治は非常にうまく行っている」「日本が軍事国家になる心配はない」などと声明を出し、アメリカ本国へ向かって日本への占領を終わらせるようメッセージを送り続けた。

1948年3月9日、マッカーサーは候補に指名されれば大統領選に出馬する旨を声明した。この声明にもっとも過敏に反応したのは日本人であった。町々の商店には「マ元帥を大統領に」という垂れ幕が踊ったり、日本の新聞は、マッカーサーが大統領に選出されることを期待する文章であふれた。そして、4月のウィスコンシン州の予備選挙でマッカーサーは共和党候補として登録された。

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では、なぜこういう声明を出せるに至ったのか?

答えは簡単である。戦勝によって名声を得たと判断、かつ選挙資金が確保できたからである。 公職にある、金のない者が、大統領選に出馬すると言うはずがないのである。金がないのに出馬すれば、どうなるか?恥をかかされるだけでなく、馬鹿な立候補者がいたと、歴史研究者に書かれるだけのことである。

日程的な経緯を追ってみよう。

終戦の翌月、昭和天皇はマッカーサーと会見した。9月27日だったそうである。

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昭和天皇とマッカーサー会見の時 http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html

昭和天皇を心から尊敬し讃えたマッカーサー http://www.nipponnosekaiichi.com/admiration/mcarthur.html

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その直後、第二復員省を代表し、米内光政が、マッカーサーの副官と言われた、ボナー・フェラーズと折衝を行ったとの記述がある。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%BE%A9%E5%93%A1%E7%9C%81

第二復員省

1945年(昭和20年)12月1日付を以て海軍省が廃止され、第二復員省が設置された。「第二復員省官制」(昭和20年勅令第680号)に基き設置され、「第一復員省官制の廃止等に関する勅令」(昭和21年勅令第314号)によって廃止された。第二復員省資料整理部(旧軍令部第一部作戦課が中心)では海軍再建の研究も行われ[1]、それらの出身者は海上保安庁から海上警備隊を経て海上自衛隊の創設へと貢献した。

極東国際軍事裁判対策

極東国際軍事裁判では、旧海軍軍令部出身者の豊田隈雄元大佐らを中心に昭和天皇への訴追回避、旧海軍幹部への量刑減刑に秘密裏に奔走した。 裁判開廷の半年前には、永野修身元帥以下の海軍トップを集めて、天皇の責任回避のための想定問答集の策定を行い、米内光政をGHQ側と折衝させるなどの工作を行った。そうした結果、昭和21年3月6日にはGHQのボナー・フェラーズ(英語版)准将から米内に対して、天皇免責のために裁判では日本側が証言をするなどの努力が欲しいこと、陸軍に開戦の責任の大部があるなど、裁判についての内々の回答を得たという。

また、BC級戦犯裁判においては、中央への責任問題の波及を避けるため、現地司令官レベルで責任を完結させる弁護方針を立てて証人を隠すなどの工作も行っている

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書かれていることが事実とすれば、一連の経緯から、海軍関係者の量刑減刑が名目上の取引材料となった可能性が予見される。

すなわち、マッカーサーが選挙資金を得た、背景事情をここに見出すのである。証拠はない。だが、選挙資金を得るとすれば、それは日本しかないと推測するに至るのである。

GHQが狙った洗脳のルーツ

  • 2015.11.26 Thursday
  • 09:26
倉山満が書いた「嘘だらけの日米近現代史」によれば、アメリカという国は、南北戦争時代から、戦勝側の立場で歴史を塗り替える習性があると指摘している。 さて、渡部昇一の本ばかり読み親しんでいた人の場合、「マッカーサーは、議会証言で日本が自衛戦争を余儀なくされたという発言」の記述によって、マッカーサーが、さも親日家であるかのような印象を持ってしまう。 私は、マッカーサー議会証言については、マッカーサーは、日本を数年占領統治した末にやっと、自分たちの外交政策の過ちに気づいて発言した程度の事だろうという認識である。 このブログにおいては、マッカーサーは油断ならない人物であろうとの視点から分析を試みてきた。 ・議会証言したからという理由でマッカーサーが親日派だと思い込んではいけない http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1456755.html ・マッカーサーの正体 http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1457030.html また、ブログ「しばやんの日々」にては、ニューズウイーク紙を引用する形でマッカーサーの配下が、親米的な日本人が公職追放されている実態があるとしている。 GHQの中にもソ連の工作があったのではないか http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-246.html また、ウイロビーの回顧録からの引用となるが、「GHQに雇われている(無国籍者を含む)304人の外国人のうち、最大グループを形成する28%(85名)はソ連またはソ連衛星国の出身である。そのうち42名はソ連の市民権の持ち主である」としている。 アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-257.html つまり、マッカーサーは、ソ連を利するための、間抜けな占領政策を行なった統治者ということになるのだ。 その前提で、議会証言を評価しなくてはならないのである。 議会証言だけを強調することは、マッカーサーの人物鑑定を見誤ることを意味するのである。 ここで、親日的だから人物として信用できそうだー、というスタンスで書き綴る、リライトものの歴史ブログの罪深さを指摘せざるを得ない。 涙なしでは読めない、感動ものの歴史小話の行きつく先は、「外国人が少しでも親日的なポーズをとればころっと騙される、(外国人に対し異常に無防備な)日本人を大量生産する原因」になるだろうという意味においてである。 そういうリライト主義者たちの感動ものの話、(私は嫌いではないが)、書く人は、感動ものの小話とするために意図してデフォルメして書いている、ことは、この程度のブログ経験しかないがなんとなく想像できる。そうしないと、ブログのアクセスは伸びず、本も売れなくなる、ビジネス的に当たり前のことではある。具体的に言うと、小説的な書きぶりを採用することになるのだ。 私は、歴史書を読みつつ、歴史の中における感動する話は一部はあるものの、すべてがそうではなく、知りたくないことを知ることの方が多いかもしれないと思いつつある。 私の考えに反発される方、そうではないと思いたい方に私はお聞きしたい。 我々の日常生活において、涙なしに読めない感動的な話が、毎日発生しているのであろうか? 夫婦の会話、家族との会話、職場での会話において、感動することが毎日毎日発生しているのであろうか? 私は、なんとなく気が晴れない、むしゃくしゃした心理状態の人にとって、感動ものの話は、清涼飲料水以上の効果をもたらすことを否定しない。韓流ドラマや、お昼の不倫もののドラマを視聴するよりは健全であることは認める。 だが、感動的な話に慣らされることは、それ自体が一種の「洗脳」の範疇に分類されることを認めざるを得ないのだ。 だって、そうではないか。プーチンについては、ネットの世界では、親日家というイメージが先行しているではないか?メドヴェージェフは、その反対に、結構、悪意にとれるどぎついことを日本に対し言い続けているではないか。私には、メドヴェージェフ発言がロシアの本音であろうと思えて仕方がないのである。 従って、マッカーサーについて言えば、あの議会証言の件だけを認識することは、冒頭で紹介したような、GHQの洗脳シナリオに知らず知らずのうちに、嵌ってしまう懸念があると私的せざるを得ないのだ。 一方で、渡部昇一を含め、多くの保守系言論人は東京裁判史観が問題だとしている。戦後レジーム脱却のためには、東京裁判史観を打破しなくてはならない、としている。 本当にそうなのであろうか。東京裁判以前に、マッカーサーによって、歴史(戦史)が創られた可能性はないのか、ということに繋がるのである。

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