近現代史上の重要人物が特定の宗派に集中している件

  • 2024.03.15 Friday
  • 03:30

JUGEMテーマ:歴史

 

近現代史上の重要人物が特定の宗派に集中している件


日本聖公会の情報を調べていくうちに、近現代史上の重要人物が特定の宗派に集中していることを知った。

以下は、その抜粋。

 

//////////////////////////////////

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%81%96%E5%85%AC%E4%BC%9A
日本聖公会

 

1853年(嘉永6年)
7月8日 - 米国聖公会信徒のマシュー・ペリーが浦賀に来航。
1856年(安政3年)
8月21日 - 米国聖公会信徒のタウンゼント・ハリスが初代米国総領事として下田に来航。
1859年(安政6年)
9月 - 聖公会信徒のトーマス・グラバーが長崎に来日し、礼拝に参加[17]。
1868年(明治元年) 
 英国教会系の福音宣教協会(SPG)と教会伝道協会(CMS)が布教開始。グイド・フルベッキが東京大学の前身に当たる開成学校の教師になる。
1948年(昭和23年)
八代斌助が、友人で米国聖公会の信徒でもある連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの特別許可を得て、戦後日本人として初めて渡航する。イギリス国王ジョージ六世あての天皇陛下のメッセージを伝達し、ロンドンで開催された全世界の聖公会の会議であるランベス会議に出席。

 

//////////////////////////////////

 

日米開戦時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトも聖公会絡みの人物。

 

//////////////////////////////////

 

https://www.christiantoday.co.jp/articles/24954/20171219/hyakunin-ichidoku-73.htm

 

偉大な大統領ルーズベルト自身も聖書から影響を受けていた人物でした。さて、このルーズベルトですが、生涯にわたって聖公会の司祭であるエンリコットという人物と親交を持ち続けていました。ルーズベルトの大統領就任式では、この司祭が祈りをささげています。ルーズベルトはこのように語っています。「彼(エンリコット司祭)の導きの手という特権を持てたことは、私の生涯における祝福であった」

ルーズベルトには、エンリコット司祭という導きの手があったようです。さて、皆さんの人生には、導きの手といえるような人や存在がいるでしょうか。1人だと、いろいろ限界があります。大きな問題にぶち当たったときに、1人だとパニック状態に陥るかもしれません。でも、導きの手といえる人がいるなら、そんな時でも力強いですよね。

 

//////////////////////////////////

 

おまけに、東京裁判にて証言したマギー神父も聖公会所属。

 

//////////////////////////////////

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%83%BC

ジョン・マギー

ジョン・ギレスピー・マギー(John Gillespie Magee、1884年 – 1956年)はアメリカ合衆国の米国聖公会牧師[1]。日本軍による南京事件(南京虐殺)についての証言を東京裁判で行った。また事件の記録映像(マギーフィルム)は中国政府が世界の記憶へ申請し、2015年登録された[2]。

アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグ出身。イェール大学で学んだ後、マサチューセッツ州の神学校に移っている。1912年から1940年まで中華民国で、米国聖公会伝道団の宣教師として活動し、南京下関地区で教会を主催してキリスト教布教と医療活動を行った。

 

//////////////////////////////////


開国、GHQの占領支配、東京裁判に、聖公会信者、関係者が関与することは偶然ではない。
特定の宗派が日本を支配しようと企図、現実に支配されたことを意味する。

明治維新、日露戦争、戦後の謝罪外交の黒幕は、あの国であったと考えざるを得ないのである。

道徳再武装運動

  • 2024.03.05 Tuesday
  • 12:11

JUGEMテーマ:歴史

「軍隊なき占領」(ジョン・G・ロバーツ他)によると、道徳再武装運動とは、反共目的とするアメリカ人実業家が主宰する疑似宗教であるとしている。この本の道徳再武装運動にて名が挙がっている日本人は、岸信介、三井高維、中曽根康弘、山本正、アメリカ人は、デイビッド・ロックフェラー、ヘンリー・キッシンジャー、フランク・ブックマン、ナサニエル・セイヤーである。

wikipedeiaでは、道徳再武装運動について以下のような解説がある。

 

//////////////////////////////////

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3%E5%86%8D%E6%AD%A6%E8%A3%85

 

道徳再武装

道徳再武装(どうとくさいぶそう、英語: Moral Re-Armament、略称MRA)は、1921年にメソジストのフランク・ブックマン[1]牧師率いるオックスフォード・グループ[2]が発展する形で発足した、国際的な道徳と精神を標榜する運動である。1938年に現在の名称となった[3]。以後、ブックマンは1961年に死去するまでの23年間にわたりMRAを率いた。

MRAはキリスト教に端を発し、あらゆる宗教や社会的背景に属する人々によって構成される非政府の国際ネットワークである。MRAは、「4つの絶対標準」[4]と呼ばれる考え方に則っている。MRAはその支持者に対して、政治的活動や社会的活動に参画することを奨励する[5]。

 

日本での展開

1962年10月22日から26日にかけて、MRA世界大会が神奈川県小田原市の小田原MRAアジアセンターで開催された。池田勇人首相、岸信介、大韓民国中央情報部(KCIA)の金鍾泌長官らが参加。
MRAは戦後から文化交流を名目として反共運動を展開した。参加した政治家は下に掲げた略年表[15]の中で岸信介が代表とされる。中曽根康弘もそうだが、彼は会員になってからヘンリー・キッシンジャーやナサニエル・セイヤー[16]など外交問題評議会の名士と知り合った。実業家では三井本家の弟、三井高維[17]に、ブックマンを支持する富裕層の友人が多くいた[18]。

日本MRAの本部は1976年から今日まで、山本正[19]が率いる日本国際交流センター(英語版)[20]である。同センターはロックフェラーの利権を代表する日米欧三極委員会の事務局でもあり、外交問題評議会の計画さえ遂行してきた[21]。

 

//////////////////////////////////

 

「軍隊なき占領」によると、最終的に道徳再武装運動は、平和な時代の到来とともに、初期の政治的締め付け的な性格のものではなく、より洗練された「国際交流」の実践者を気取る人当たりの良い実力者(山本正)に若返り、山本正はロックフェラーの日本秘書の立場で活動強化、日本国際交流センター(JCIE)は日本におけるロックフェラー利権組織であるばかりでなく、道徳再武装の本部、日米欧(三極)委員会の事務局、外交問題評議会(CFR)プログラム実施組織だったとされる。

 

仕事上、上記文化交流に係わる業務を担当したことがある。

上述の記述、自分の業務経験を振り返り、道徳再武装運動とは、日本の政財界要人を監視することを目的としていたと考えられるのである。

聖職者の偽証?問題

  • 2024.02.25 Sunday
  • 08:20

JUGEMテーマ:歴史

 

 

大東亜戦争末期、日本は無差別爆撃を受け、原爆投下されるなど、多数の民間人が死傷させられた。終戦という形で、敗戦を受入れた国家の立場で、軍事裁判で勝訴する見込みはない。おまけにフィリピン植民地憲法と酷似する憲法まで丸のみさせられた。
敗戦国日本は謝罪させ、反省させられることとなった。東京裁判では、日本軍による南京虐殺がたった一人の聖職者(マギー神父)の証言(伝聞による情報)により事実と認定された。


南京は、歴史的に虐殺の名所として有名である。

 

実は、南京虐殺でっち上げの300年近く前にイギリスで、反カトリック聖職者(タイタス・オーツ)による流言(伝聞による情報としての話)により、カットリック聖職者が大量処刑される事件が起きた。

文献的には「コーヒーハウス」(小林章夫)、wikipedeiaに情報がある。

 

カトリック陰謀事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E9%99%B0%E8%AC%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

興味深いのは、異端審判で権勢をふるったとみられるカトリックの一派イエズス会が、当時のイギリスではイエズス会への反感が根強く、そのことが大量処刑のきっかけとなったことである。

後年、冤罪で処刑されたことが発覚、タイタス・オーツは偽証を告白した。

マギー神父の主張が100%嘘だと断定するつもりはないが、東京裁判の300年前に聖職者の偽証が起きていたことを知っていたら、それなりの裁判対策ができたはずである。

奴隷ビジネスの規模

  • 2024.02.14 Wednesday
  • 07:19

JUGEMテーマ:歴史

 

世界史の教科書に書いていないことだが、「ヨーロッパ覇権史」(玉木俊明)にて、大西洋で輸送された奴隷の総数が1000万を超えるとの統計情報が読める。

 

 

 

この時代の1000万人ということは、現在の人口では5000万人相当、奴隷一人につき100万円で売買されたとすると50兆円くらいに相当する。奴隷狩りのせいで絶滅させられた種族がいるはずだ。
歴史上、富というものは奴隷貿易によって蓄積され、幾多の戦争、産業革命等により、資本家の資産が増えたとすると、下手をすると、奴隷貿易を起点とするとその資本の規模はその100倍以上、現時点で1京円に達しても不思議ではない。

 

奴隷商人の国籍は、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ、アメリカ、フランス、デンマークとなっている。
取扱高で多いのは、ポルトガルとイギリス。全体で75%に達している。奴隷貿易の最盛期は18世紀後半から19世紀前半。イギリス、オランダ、デンマークは、18世紀前半に奴隷貿易をやめている。

 

興味深いのは、奴隷取り扱い数の最大手だったはずのポルトガルの奴隷商人たちがその富を持ってどこに移動したのかについてである。
同時期のヨーロッパ列強の国力から、ポルトガル奴隷商人たちは、オランダ、イギリス、フランス、アメリカに移動したような気がしている。

 

渡部昇一の本で繰り返し述べられていることだが、アメリカの支配層が日本に対し情け容赦ないのは、彼ら一族のルーツが奴隷商人だったことが関係していると考えざるを得ない。

ロックフェラー3世が日米開戦の黒幕?

  • 2024.02.04 Sunday
  • 12:17

JUGEMテーマ:歴史

 

 

ロックフェラー一族の中で、日本とアジアに最も深くかかわった人物として、ジョン・D・ロックフェラー3世があげられる。

「軍隊なき占領」(ジョン・G・ロバーツ、グレン・デイビス)では、「政界入りせず、民間組織を通じて舞台裏で動く方を好んだ。兄弟の中で日本とアジアにもっとも深く関わった人物」として紹介されている。

 

この人物は、大東亜戦争時代、どのように係わったのか、歴史書の中に出てこない。
英文Wikipediaによると、戦後は、ダレス国務長官と平和条約締結のため日本訪問に同行しているとされる。
かつては外交問題評議会、外交政策協会、太平洋関係研究所の会員であったことから、戦前・戦中の対日政策を主導したはずである。
そうでなければ、ダレス国務長官に同行して来日するはずがない。

 

ロックフェラー一族の中では2017年に亡くなったディビッド・ロックフェラーが存在感あるが、彼が対日政策に関与したのは戦後である。
すなわち、ジョン・D・ロックフェラー3世がロックフェラー一族の中で最も日米開戦を誘導・関与した可能性が強いと考えるのである。

 


//////////////////////////////////


翻訳したもの

 

https://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockefeller_III
John D. Rockefeller III

 

ジョン 3 世は、ロックフェラー家の社会的関連性のあるすべての事業の次期マネージャーでした。1929 年以来、彼はさまざまな機関の合計 20 の理事に就任しましたが、そのほとんどは家族関連のものでした。その中でより注目すべきものは次のとおりです。

ロックフェラー大学- その後、ロックフェラー医学研究所(上級によって設立)。
コロニアル・ウィリアムズバーグ(ジョン・ジュニア、アビー)。
リバーサイド教会(ジョン ジュニア);
ニューヨーク国際会館(ジョン ジュニア);
一般教育委員会 - 後の国際教育委員会(上級)。
中国医療委員会(ジョン シニア、ジョン ジュニア);
社会衛生局 (ジョン ジュニア);
労使関係カウンセラー (ジョン ジュニア)。
ジョン 3 世は、かつては外交問題評議会、外交政策協会、太平洋関係研究所の会員であり、プリンストン大学の理事も務めていました。1950年後半、ジョン・フォスター・ダレス国務長官 とダグラス・マッカーサー平和条約締結のための日本訪問に同行し、その間、この国の生活のほぼすべての重要な分野で多くの日本の指導者と協議した。


//////////////////////////////////

トランプ再選の歴史的意義

  • 2024.01.24 Wednesday
  • 03:38

JUGEMテーマ:歴史

 

戦後レジームからの脱却を目指した安倍政権元首相は暗殺され、暗殺行為を称賛している人たちがいる。

ここで、はっきり言っておきたいことがある。
容疑者の行為を正当化する主張は、テロ奨励行為であり、国家反逆行為である。
言論の自由の中に、テロ奨励行為は含まれていないはずである。

 

安倍晋三元首相暗殺、岸田首相主導の派閥の解散によって安倍派の解体が進み、憲法改正は遠のいたようにみえる。
岸田首相は口先では憲法改正を唱えるが、本心は、護憲派のはずだ。

憲法改正が実現しない限り、戦後は終らない。

一方で、戦後史における謀略史、敗戦利得者の存在がある。ここでいう謀略史とは、戦後支配継続のために、アメリカの謀略組織によって企図された犯罪レベルの数々の謀略である。

 

戦後の謀略事件として、帝銀事件、ロッキード事件、安倍晋三暗殺事件が挙げられる。

帝銀事件は、なんとなくであるが社会不安を煽る目的での謀略の臭いがする。
ロッキード事件は、時期的にあのキッシンジャーが日本の東アジアでの影響力を弱める目的で仕組んだ可能性がある。
安倍晋三暗殺事件は、習近平による対日包囲網を無力化することに成功、慰安婦問題を日韓同意、安倍談話、クアッド構想、トランプ・バイデンによる対中制裁の先導、日台外交関係強化、防衛力増強等、徹底的に中共をやり込める戦略を進めた安倍晋三元首相に対する復讐目的だった可能性がある。

 

謀略史に関しては、文書的に纏められているものが数冊ある。

 

・さらば吉田茂 片岡鉄哉(日本永久占領―日米関係、隠された真実)
・キャノン機関 畠山清行
・何も知らない日本人 戦後謀略事件の真相 畠山清行
・アメリカから来たスパイたち 大野達三
・黒の機関 森詠
・疑獄と謀殺 森川哲郎
・軍隊なき占領 戦後日本を操った謎の男 ジョン・G・ロバーツ グレン・デイビス

 

これらは、現在の政治情勢を知るために、読んでおくべき価値がある。
こういう過程を経て現在の政治体制が創られたと私はみている。

ただし、その多くは、関係者の死去により実態が消滅しつつあるとみていい。
反日の大番頭キッシンジャー、池田大作が死去した意味は大きい。

 

実はあと一人残っている。読売の社主である。

組織的には、CIAの日本支局。
CIA、FBIは、前回大統領選挙でバイデン支持派に廻り、選挙不正に直接関わるか、選挙不正に関わる捜査を妨害した組織なので、もし、トランプが再選すると機能縮小、ツイッター社のように左翼(親中分子)排除となることが予想される。

また、トランプ再選により、在日米軍の長期的縮小とそれに伴い、何かと政界関与の噂がある(何かこそこそ取り決めしている組織とみられる)日米合同委員会が機能停止となる気がする。

 

トランプにすべてを期待するのは楽観的過ぎるかもしれないが、彼しかいないというのが正直なところである。

ソ連の二重スパイ網「ケンブリッジ・ファイヴ」について

  • 2024.01.14 Sunday
  • 11:10

JUGEMテーマ:歴史

 

 

日本史上影響を与えた訳ではないが、ヨーロッパ外交史に影響を与えた五人の人物がいる。いずれもケンブリッジ大卒。ソ連の二重スパイと言われている。

 

//////////////////////////////////

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B4

 

ケンブリッジの5人組

 

キム・フィルビー(1912 - 1988)
イギリス秘密情報部ワシントン代表、次期長官候補。暴露後ソ連亡命。ウェストミンスター・スクールからトリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)で学ぶ。没後ソ連で国葬が行われた[1]。

 

サー・アンソニー・ブラント(1907 – 1983)
イギリス王室美術顧問、王室とドイツとのつながりを仲介していたとされ王室の弱みを握る。発覚して自白後も公表されず、王室顧問にとどまる。暴露後サーを剥奪される。エリザベス皇太后のいとこで、トリニティ・カレッジ卒。

 

ガイ・バージェス(1911 – 1963)
BBC勤務、外務省勤務を経て、暴露後1951年にソ連へ亡命。イートン・カレッジ、海軍兵学校 (イギリス)からトリニティ・カレッジ進学し、映画『アナザー・カントリー』はバージェスの青年時代をモデルにしている。アルコール中毒によりモスクワで没[1]。

 

ドナルド・マクリーン(1913 - 1983)
外務省入省後、駐米イギリス大使館の一等書記官としての勤務を経て[1]、暴露後1951年にソ連亡命。ソ連外務省勤務。自由党下院議員の子で、トリニティホール(ケンブリッジ大の別のカレッジ)で学んだ。

 

ジョン・ケアンクロス(1913 – 1995)
外務省、大蔵省を含む政府機関勤務を経て、暴露後はアメリカでの大学勤務、国連勤務。グラスゴー大学、パリ大学、トリニティ・カレッジで学ぶ。第二次大戦中は暗号解析本部ブレッチリー・パークで分析官を務めた[1]。

 

//////////////////////////////////

 

ウイキペデイアによると上記五人に共通する経歴はこうなっている。

 

//////////////////////////////////

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B4

メンバーは1930年代にケンブリッジ大学において共産主義を信奉するようになり、ソ連の情報当局のリクルート担当[2] からの勧誘によってスパイとして活動するようになった。イギリスの外務省やMI6などの職員であったメンバーは、イギリスとその同盟国の外交、軍事、諜報などに関わる大量の情報をソ連に手渡した。彼らのスパイ活動は1950年代に露見し、メンバーの多くがソ連に亡命した。

//////////////////////////////////

 

さて、マルクスのスポンサーはロスチャイルドであることが公然の事実として知られている。

 

となると、当然、スポンサーとしては、協同して共産主義社会を拡大、当然、インテリ協力者を確保しようと考えたはずだ。

上記ケンブリッジファイブが学生時代から共産主義について憧れを抱いた時期、もう一つのイギリスの名門オックスフォードは共産主義を憧憬した学生がケンブリッジとの比較でどれくらい居たのか。もし、オックスフォード卒の共産主義者が少なければ、ケンブリッジにおける共産主義思想は人為的なものと推定可能となる。

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

フリースペース

selected entries

categories

archives

recent comment

  • 日華事変時代のハニートラップ
    masurawo (02/01)
  • 日華事変時代のハニートラップ
    たつや (02/01)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    masurawo (10/16)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    JIN (10/15)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    masurawo (10/15)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    JIN (10/14)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    masurawo (10/13)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    JIN (10/12)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    masurawo (10/09)
  • 「裏切られた自由」の日本版翻訳がなかなか発刊されなかった理由について
    JIN (10/08)

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM